「東京物語」と日本人
久しぶりに小津関係の本を読んだ。
小津の映画を観始めたのは大学時代である。1980年代のある種のスノッブな映画ファンは
小津を観たものだ。僕もそんなスノビズムで小津を知り、池袋の文芸座や銀座の並木座で2本建て
で観に行ったことを今でも覚えている。周りでは蓮見重彦の「監督 小津安二郎」という本を
抱えた学生も多かった。
そんな僕ではあるが、小津 との付き合いは長くなってきている。というか、スノッブを超えて
小津の映画は面白いとシンプルに思えるようになってきたからだ。別に「世界の小津」だから鑑賞
するのではなく、「隣にいる小津」のような肩の凝らない観方が出来るようになってきた。これは
僕自身の変化なのかもしれないが、何より小津の映画の持つそもそもの力なのだろうと思っている。
本書は、ややトリビアに流れている部分がある。個人的には原節子演じる「紀子」の分析が
非常に納得感があっただけに、それ以外のややこじつけに近い解釈が勿体ないと感じた次第だ。
但し、今なおこのように小津の映画を解釈する本が出続けている点には感心する。これは
とりもなおさず小津が多くの方にとって「隣にいる」からではないかなと思っている。
考えすぎかもしれないが。
小津の映画を観始めたのは大学時代である。1980年代のある種のスノッブな映画ファンは
小津を観たものだ。僕もそんなスノビズムで小津を知り、池袋の文芸座や銀座の並木座で2本建て
で観に行ったことを今でも覚えている。周りでは蓮見重彦の「監督 小津安二郎」という本を
抱えた学生も多かった。
そんな僕ではあるが、小津 との付き合いは長くなってきている。というか、スノッブを超えて
小津の映画は面白いとシンプルに思えるようになってきたからだ。別に「世界の小津」だから鑑賞
するのではなく、「隣にいる小津」のような肩の凝らない観方が出来るようになってきた。これは
僕自身の変化なのかもしれないが、何より小津の映画の持つそもそもの力なのだろうと思っている。
本書は、ややトリビアに流れている部分がある。個人的には原節子演じる「紀子」の分析が
非常に納得感があっただけに、それ以外のややこじつけに近い解釈が勿体ないと感じた次第だ。
但し、今なおこのように小津の映画を解釈する本が出続けている点には感心する。これは
とりもなおさず小津が多くの方にとって「隣にいる」からではないかなと思っている。
考えすぎかもしれないが。