「日本語の最後の砦」 | くにたち蟄居日記

「日本語の最後の砦」

 
  「翻訳者は、日本語の最後の砦にならなくてはならない」   
 
 この言葉は東江一紀という翻訳家の方の言葉だという。「人類が知っていることすべての短い歴史」(下)
にて 成毛眞という方が解説で紹介している言葉だ。成毛という方は、日本マイクロソフトの社長をおやりに
なった人であるが、無類の読書家である。岩波新書から「面白い本」「もっと面白い本」を出されているのを
読んだことがある。
 
 僕は日本語にはうるさくありたいと思っている。「言葉にうるさくありたい」と言いたいところではあるが、
あいにく日本語以外の言葉で、そこまで言い切る自信も能力もないので、まずは日本語に関してそう
考えている。
 
 翻訳された本を読んでいると、日本語として意味が不明で困惑する場面が多い経験を持つ方も
多いだろう。おそらくは、出来うる限り原文を、原文に正確に、日本語にしようとすることが原因である
ような気がする。勿論、日本語にはないニュアンスの言葉は外国語にはいくらでもあろうし、それを
日本語に翻訳することの困難さも想像できる。
 
 但し、「翻訳された」とはいえ、日本語になっているものは、日本語の論理とリズムと読むしかないのも
僕ら日本人ではある。従い、論理が辿れないものは「わけがわからない」ということになるし、リズムが
合わないものは「乗れない」ということになってしまう。「意味不明で乗れない」文章を長く読み続けることは
普通はとても難しいものだ。
 
 ということで、東江という方の言葉には大変賛同した次第である。