「ノンフィクションは死なない」 佐野眞一

佐野眞一の久々の著作である。本作は以下2点がポイントだ。
一点目。佐野はノンフィクションというジャンルが今の日本で死にかかっていると言う。
本書を読む限り、最大の原因はノンフィクションというものが読まれなくなった点にあるようだ。
良質のノンフィクションを掲載してきた雑誌の休刊にしても、書き手の減少にしても、端的に言うと
「人気がなくなってきた」点にある様子だ。
ノンフィクションの人気がなくなってきた原因は、良質の作品が減少したのか、読み手の興味が
他に移っているのかのどちらか、若しくは両方、ということになろう。佐野としては当然ながら
後者を懸念し、今後の日本の精神風土への警鐘も鳴らしているはずだ。また、それを増長している
のがマスメディアの有り方であるとも言っている。
佐野の主張を聞いていて特に違和感は無かった。但し、大きな時代の流れを押し止めるだけの
説得力があったわけでもない。本書の題名である「ノンフィクションは死なない」とは、佐野の
「説得」というよりは「祈り」に近い。僕自身はノンフィクションというジャンルは好きなので
「祈り」に参加することはやぶさかではないが、「祈り」に過ぎない点も確かだった。
二点目。佐野自身の書きっぷりはどうか。
佐野は盗作疑惑を起こした。僕はそれまで佐野のかなりの著作に引き込まれていたので正直
当時はショックを覚えた。
本作で佐野は当時の疑惑に対して、具体的にある程度の反論をしている。反論部分はいささか読みづらく
これで疑惑を晴らしたのかどうかは僕自身としては良く分からなかった。
但し、考えてみると当時の疑惑も「盗作」部分に集中しており、作品自体の質に対する攻撃は余り
なかった気もする。「盗作しているかどうか」は著者にとっては死活問題だとしても「作品」に
とってはまた別の話かもしれない。そう考えると当時の僕が受けたショック自体がいささか軽薄だったのかも
しれない。
一方、佐野の筆は荒れてきていることも確かだ。佐野自身も本書で言っているが、「あんぽん」の
成功が、彼の筆を変えてしまった感がある。要は、「情緒的で攻撃的な書き方」に染まってしまっては
いないかということだ。端的に言うと品が無くなっている。
佐野の著作を愛読してきた僕としては、彼の筆の品を懸念すること自体が悲しい話である。
ノンフィクションの人気を上げようという真面目な志が、その方法として「情緒的で攻撃的な書き方」
を産んでしまったとしたら、悲劇だ。それこそがノンフィクションの死を加速しないだろうか。
一点目。佐野はノンフィクションというジャンルが今の日本で死にかかっていると言う。
本書を読む限り、最大の原因はノンフィクションというものが読まれなくなった点にあるようだ。
良質のノンフィクションを掲載してきた雑誌の休刊にしても、書き手の減少にしても、端的に言うと
「人気がなくなってきた」点にある様子だ。
ノンフィクションの人気がなくなってきた原因は、良質の作品が減少したのか、読み手の興味が
他に移っているのかのどちらか、若しくは両方、ということになろう。佐野としては当然ながら
後者を懸念し、今後の日本の精神風土への警鐘も鳴らしているはずだ。また、それを増長している
のがマスメディアの有り方であるとも言っている。
佐野の主張を聞いていて特に違和感は無かった。但し、大きな時代の流れを押し止めるだけの
説得力があったわけでもない。本書の題名である「ノンフィクションは死なない」とは、佐野の
「説得」というよりは「祈り」に近い。僕自身はノンフィクションというジャンルは好きなので
「祈り」に参加することはやぶさかではないが、「祈り」に過ぎない点も確かだった。
二点目。佐野自身の書きっぷりはどうか。
佐野は盗作疑惑を起こした。僕はそれまで佐野のかなりの著作に引き込まれていたので正直
当時はショックを覚えた。
本作で佐野は当時の疑惑に対して、具体的にある程度の反論をしている。反論部分はいささか読みづらく
これで疑惑を晴らしたのかどうかは僕自身としては良く分からなかった。
但し、考えてみると当時の疑惑も「盗作」部分に集中しており、作品自体の質に対する攻撃は余り
なかった気もする。「盗作しているかどうか」は著者にとっては死活問題だとしても「作品」に
とってはまた別の話かもしれない。そう考えると当時の僕が受けたショック自体がいささか軽薄だったのかも
しれない。
一方、佐野の筆は荒れてきていることも確かだ。佐野自身も本書で言っているが、「あんぽん」の
成功が、彼の筆を変えてしまった感がある。要は、「情緒的で攻撃的な書き方」に染まってしまっては
いないかということだ。端的に言うと品が無くなっている。
佐野の著作を愛読してきた僕としては、彼の筆の品を懸念すること自体が悲しい話である。
ノンフィクションの人気を上げようという真面目な志が、その方法として「情緒的で攻撃的な書き方」
を産んでしまったとしたら、悲劇だ。それこそがノンフィクションの死を加速しないだろうか。