「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」

新聞の連載で「しづ子」という俳人を知り、本書を読む機会を得た。何かを偶然する媒体としての新聞はいまだに得難い存在である。
本書は「鈴木しづ子」という一つの謎を探求した一種の探偵譚である。彗星のように登場し、生々しい俳句を大量に作り、昭和27年以来33歳で消息不明になった俳人を著者は執拗に追い求める。俳句の生々しさと消息不明ぶりがいかにも騒がしく、幾分色物めいた印象をしづ子は我々に与える。
但し、読み取るべきは、戦後という時期に有りがちな一人の女性像であるの
かもしれない。何時の時代の、誰の俳句でも同じ事は言えると思うのだが、「その時代、その場所」で詠まれた句は、どうしようもなく時代と場所に影響されてしまうからだ。
しづ子の俳句を見ていて、一番驚くのは、その「量」である。
しづ子は短期間に大量の句を作っている。粗製濫造という言い方が正しいかどうかは分からないが、そうしづ子にさせたものは何なのかを考えることには意義があると思う。
その部分に関しては本書は若干弱い気がする。但し、ご本人に会う事が叶わなかった著者にそんなことを言ってもフェアーではないことも
確かだろう。敢えていうならば、俳句とは「そういうある種の狂気の行きつく先の一つでありえる」ということだ。十七文字しか許されないという過酷な条件の下で、言葉を研いでいく作業はある種の狂気に繋がるものだと僕は思う。
現段階でしづ子が生存している可能性はある。もしかしたらどこからか名乗り出てくる日も来るのかもしれない。そんな日が来ないでほしいと思わせるのが、この探偵譚の面白さでもある。迷宮入りした事件は時として魅惑的だ。