「『風立ちぬ』を語る」  岡田斗司夫 | くにたち蟄居日記

「『風立ちぬ』を語る」  岡田斗司夫

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 映画「風立ちぬ」を観たことで本書を読む機会を得た。

 まず本書は内部からジブリとアニメを描き出している点が面白い。カリオストロの城の画面の
分析は素人にとっても説得力があり、アニメを作るということ自体を垣間見せるものがある。
また本書の白眉としては人間としての宮崎駿を描き出している点にある。著者が描き出す宮崎
とは「世界屈指の映像作家」だけではない。ある種の破たんした人間としての宮崎を紹介
している。宮崎とその息子との葛藤と確執を描く場面はかなりの迫力がある。

 一方、映画の解説としての本書はどうだろうか。

 僕が読む限りは、ある種の解説としての本書は面白い。但し、この本の解釈が正しいかどうか
は現段階では疑問でもある。例えば以下のくだりだ。

 「そして二人の再会シーンです。
  駅構内の雑踏の中で再び二人は出会い、抱き合い、二郎は菜穂子にやさしくこう言います。『よかった、
  見つけられなかったらどうしようかと思った』
  自分のことを好きな女の子が、自分に会うためにサナトリウムから必死に抜け出してきたのです。
  それなのに、二郎はこの期に及んでも自分の心配だけをしているんです」

 僕が読む限りでは二郎が「自分の心配」をしているようには思えない。「どうしようかと思った」
という発言は普通に考えると、菜穂子への懸念ではないのだろうか。
 もちろんこれは単なる揚げ足取りなのかもしれない。但し、作者のロジックをなぞりながら読む方
にとっては、こういう細部もいささか気になる。また作者の牽強付会を感じてしまうとその後の
読み方にも影響が出てしまうものだ。

 いずれにせよ、「風立ちぬ」という映画を解釈することは面白いのだと思う。もう少し堀辰夫側
からの分析も必要ではないか。「菜穂子」という名前は堀の書いた「風立ちぬ」の主人公には
使われていない点も含めて。