「風立ちぬ」 宮崎駿

宮崎の最終作を鑑賞した。この作品では宮崎は以下二点の新しい試みに臨んだと理解した。
一点目。本作は子供を対象としていない点である。
宮崎は作品を子供向けに作ってきたとは思わない。むしろ大人でないと分からない作品の
方が多い。但し、「子供が観ても面白い」作品にしてきたことも間違いない。
本作では、しかし、宮崎は「子供が観ても面白い」作品にしようとしているとは思えない。これは
想像だが、実際の劇場においても子供は退屈したのではないだろうか。なお、ここでいう子供とは
小学生以下を僕は意味している。
「子供が観ても面白い大人向けの作品」を作ることが出来たのが宮崎の大きな才能の一つで
ある。それを今回敢えて路線を変えた理由は何だったのかは僕には、未だ、分からない。言える
とするなら、そうすることで現実性が強く付加されたという点か。従来の宮崎作品に有った
ファンタジー性を排した語り口は本作の特徴だ。
二点目。語られる期間の長さである。
従来の宮崎の作品は比較的短期間での出来事を描いてきている。数日から、長くても一年
未満が通常の宮崎映画の「期間」だ。本作では10年単位の長さに宮崎は挑んでいる。
短い時間軸の語り口と、長い時間軸の語り口はおのずと異なると僕は思う。映画にとっては
おそらくは後者は難しいはずだ。上映時間という大きな縛りがあるからである。そこが文学と
の大きな違いだろう。文学であるなら、とてつもない長い物語を語ることが出来る。ページ数に
制限がないからだ。映画はせいぜい2時間半程度しか時間は与えられていない。若しくは
いくつかの作品に分ける手もあろうが、限界がある。ロードオブザリングなどは幸せな成功例
かもしれないが、あの作品にしても期間は一年間程度を扱った作品だ。
宮崎の語り口は成功しているのだろうか。これはもう幾度か観ないと分からないが、特色がある
語り口にはなっていない。いくつかのエピソードがいささか冗長に流れていると僕は思った。
以上の二点の挑戦を経て、本作は比較的特徴の無い作品になったとは思う。但し、「高いレベル
においての特徴の無さ」であることも確かだ。宮崎が本作で引退することに関しては個人的
には反対したい。但し、最後の最後に宮崎が挑戦した点を観ていると、ご本人の覚悟も看て
取れる気はした。従来の語り口と物語を捨てた姿が見えるからである。
一点目。本作は子供を対象としていない点である。
宮崎は作品を子供向けに作ってきたとは思わない。むしろ大人でないと分からない作品の
方が多い。但し、「子供が観ても面白い」作品にしてきたことも間違いない。
本作では、しかし、宮崎は「子供が観ても面白い」作品にしようとしているとは思えない。これは
想像だが、実際の劇場においても子供は退屈したのではないだろうか。なお、ここでいう子供とは
小学生以下を僕は意味している。
「子供が観ても面白い大人向けの作品」を作ることが出来たのが宮崎の大きな才能の一つで
ある。それを今回敢えて路線を変えた理由は何だったのかは僕には、未だ、分からない。言える
とするなら、そうすることで現実性が強く付加されたという点か。従来の宮崎作品に有った
ファンタジー性を排した語り口は本作の特徴だ。
二点目。語られる期間の長さである。
従来の宮崎の作品は比較的短期間での出来事を描いてきている。数日から、長くても一年
未満が通常の宮崎映画の「期間」だ。本作では10年単位の長さに宮崎は挑んでいる。
短い時間軸の語り口と、長い時間軸の語り口はおのずと異なると僕は思う。映画にとっては
おそらくは後者は難しいはずだ。上映時間という大きな縛りがあるからである。そこが文学と
の大きな違いだろう。文学であるなら、とてつもない長い物語を語ることが出来る。ページ数に
制限がないからだ。映画はせいぜい2時間半程度しか時間は与えられていない。若しくは
いくつかの作品に分ける手もあろうが、限界がある。ロードオブザリングなどは幸せな成功例
かもしれないが、あの作品にしても期間は一年間程度を扱った作品だ。
宮崎の語り口は成功しているのだろうか。これはもう幾度か観ないと分からないが、特色がある
語り口にはなっていない。いくつかのエピソードがいささか冗長に流れていると僕は思った。
以上の二点の挑戦を経て、本作は比較的特徴の無い作品になったとは思う。但し、「高いレベル
においての特徴の無さ」であることも確かだ。宮崎が本作で引退することに関しては個人的
には反対したい。但し、最後の最後に宮崎が挑戦した点を観ていると、ご本人の覚悟も看て
取れる気はした。従来の語り口と物語を捨てた姿が見えるからである。