死語であるネットサーフィンという言葉を不図想って
もう死語になったと思うとたまに見かける言葉に「ネットサーフィン」というものがある。
ネットで漫然と色々なサイトを見廻ることをかかる言葉で表現したのだと思う。なんで「サーフィン」なのか
はついぞピンと来ないのは僕がサーフィンをやったことがないからに違いないと思うようにはしている。自分で
やったことが無いものに対して何かを断定したり批判することを避けるのは簡単なようで結構難しいものだ。
「風が吹くと桶屋が儲かる」とは落語のネタだったのだろうか。あの話は、屁理屈の付け方を表現したものだろう
と長らく思ってきたが、本日不図違うことを考えた。
あれは「会話の妙」ではないかと。
会話というものを考えてみると不思議だ。何が不思議かというと、話をしている二人(の場合が多い)は
いったいどこにその会話が行くのかが分からないままに漫然と話していることが多い点だ。
例えば初めは最近風が強いという話をしているかもしれない。すると話は風で舞い上がる塵が目に入って
痛かったということに続くかもしれない。その調子で、話の中の一要素を相手が取り上げて、次々と話が
変っていき、気が付くと「なんでこんな話をしているのだろう」と二人で笑ってしまうこともあるではないか。落語の終点の桶屋は、会話の中では容易に辿りつく地点ではあるまいか。そう考えると人の会話の展開の不思議さや玄妙さというものもあるのかもしれない。
そんな会話の展開の仕方と、いわゆる「ネットサーフィン」なるものにもいささか似ている点も感じる。
あるサイトを見始めて、最期に観ているサイトまで何をどう見ていくのかはまさに「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じ構造なのではないかと思った次第だ。