「高級化するエビ・簡便化するエビ―グローバル時代の冷凍食」 祖父江智壮 | くにたち蟄居日記

「高級化するエビ・簡便化するエビ―グローバル時代の冷凍食」 祖父江智壮

 
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 本書は祖父江という大学生の著者と赤嶺という指導教官の共著である。具体的には著者が書いた卒業論文「高級化するエビ・簡便化するエビ」を冒頭に置き、赤嶺が自身の論文と著者論文の解説の載せた構成となっている。僕は、祖父江という方と知り合う機会があったことで本書を読むきっかけを得た。

 僕にはいままで鶴見良行及び村井吉敬という方の本をいくつか読む機会があり、その感想をアマゾンのレビューとして書いた経緯がある。今回本書を読んでいて鶴見・村井の後継者がいらっしゃることが良く分かった。本書を読んだ感想は以下二点だ。

 一点目。著者である祖父江の出発点はインドネシアのエビ養殖池で養殖業者から「お前は、日本でどうやってエビを食べるんだ?」と聞かれたことにあるという。インドネシアの養殖と日本の食卓との間のある種の遠大な「距離」をいきなり突きつけられたということなのだろう。

その「距離」を縮める前に、まずその「距離」自体を計測し理解しなくてはならなかったことは想像できる。その為に著者は主に日本でのフィールドワークを行い、同時に日本の冷凍食品の歴史をさかのぼることになった。そのある種の「旅行記」が「高級化するエビ・簡便化するエビ」という論文である。

 指導教官である赤嶺は解説において「祖父江さんが消費現場の調査に没頭したのは、実は、調査資金にめぐまれていなかったからかもしれない」」と書いている。ここで言っている「消費現場」とは即ち日本だ。赤嶺は著者の論文の「現段階での限界」をここで述べていると読んだ。但し、それは著者の論文を貶めているものでは全く無い。大学を卒業し、社会人として旅立つ著者へのエールに満ちた解説であることは明白だからだ。

 二点目。「著者は今後社会人として東南アジアに関わった仕事をしていく」と赤嶺が解説で言っている。
 著者は論文をまとめるに当たって食品会社や水産会社に問い合わせる機会があったが、必ずしも全ての答えを貰えたわけではなかったと書いている。これはある意味ではしょうがない現実であろう。
  ここで微妙なのは著者がこれからは「問い合わせる立場」から「問い合わせを受ける立場」に移るという点にある。そこで著者には色々な葛藤も出てくることも想像される。若しくは自身が過去に行った「問いかけ」が実は非常に答えにくい質問であったことに気が付く場面もあるかもしれない。
 但し、赤嶺は「大学では人は育たない」という恩師の鶴見の言葉も解説で引用している。著者が大学を卒業し、実際の仕事の現場に行くことで著者が育つということを言いたいのだろう。その意味でもこの解説は著者へのエールに満ちていると言える。

 「バナナと日本人」「エビと日本人」という著作は全く新しい視点・切口を僕らに提供したと思っている。本書もその伝統を正統に継いだ著作だと僕は読んだ。今後の著作も楽しみである。