「ワンダフルライフ」  | くにたち蟄居日記

「ワンダフルライフ」 

 
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 このところ纏めて是枝監督の作品を鑑賞している。本作で三作目だ。

 本作はファンタジーという分野なのだろう。但し、是枝はドキュメンタリーの手法を取り入れて撮影している。それが大きなトリックとなって観ている僕らを混乱させる。観ていてだんだんと現実感が出てきてしまう。映画のスクリーンに映し出される映像を観ているのではなく、登場人物の真横に自分が座って現実の場面に参加しているかのように感じる。これは一種のマジックと言える。

 本作のテーマは観ている人によって異なるはずだ。「ヒロインの成長譚」を暖かい気持ちで見守ることも出来れば、「映画の本質とは何か」を考え込むことも出来る。「何かを選ぶことは、それ以外の全てを捨てることだ」という人生論を語ることも出来る。

 そういう自由な観方を許すのも、本作が何かを声高に主張していないからだろう。実際に、ここまで観てきた二本の是枝作品(「歩いても歩いても」「そして父になる」)でも、決してテーマは明示的ではない。淡々とした映像の向こうに、自分で目を凝らすしかない。そんな自分自身の視線の有り様が、その人にとってのテーマだ。

 本作を観ていて既視感を覚えた。村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終り」の舞台に似ている気がした。本作の舞台も、ある意味では「終わっている世界」ではある。村上の作品でも「そんな世界に留まるのか、そこから出ていくのか」がテーマであった記憶がある。本作でも「留まること、と、出ていくこと」は、第一義的なテーマであるとは言える。そこが僕の既視感になったのだろうか。それが最後の感想だった。