「さよなら渓谷」 吉田修一 | くにたち蟄居日記

「さよなら渓谷」 吉田修一

映画「さよなら渓谷」を鑑賞したことで本書を読むきっかけとなった。

映画はかなり気に入った作品となった。題名にある「渓谷」も美しく描かれており、主人公のカナコが
渓谷を「去った」ことへのリアリティーが生まれていた。一方、原作は「暑さ」が際立っている。常に主人公は汗だくになっている印象を強く受けた。

「汗臭い」作品はいくつかある。例えば中上健次 のいくつかの作品は行間から正に汗の臭いが立ち上っていた。
においを漢字変換すると「臭い」と「匂い」が出てくるが、まさに「臭い」に当てはまる作品群であった。けもの
臭とすら言って良い。
それに比べると本作は汗まみれながらも、「匂い」という言葉が相応しい気がする。これは主人公と
カナコにある妙な透明感によるものだろう。

主人公とカナコの透明感が何から齎されているのか。

本書が設定しているシチュエーションは透明感から程遠い。但し、そのシチュエーションに対峙している
二人の「対峙の有り様」が不思議と透明なのである。ある意味では「他人事」のように状況を眺めている
かのような描き方だ。その意味で、現実感がそこにはない。いや、少なくともカナコが現実感を持つことを
恐れていた点は描かれている。

その意味ではカナコが最後に家を出て行ったところから現実感が動き出したのかもしれない。
本書はそこで終わっているので、その後の二人がどうなるのかは各自想像するしかないわけだが。