桜の時期 | くにたち蟄居日記

桜の時期

 
 今年もくにたちの桜が咲き始めた。
 
 桜という花には奇妙な静けさを感じる。いくらその木の元で人が酔いしれていようとも
花だけは冷静に、もしくは冷徹に、咲いているような気がする。花屋で売られている花と
桜は同じ花とはとても言えない。梅の盆栽は想像できても、桜の盆栽は想像がつかない。
 
 桜は「死」を想わせる。と、僕は思ってしまう。
 
 西行が桜の咲くころに死にたいと詠んでいたそうだ。西行は華やかな桜の花に包まれて死にたいと思ったのだろうか。そうではない気がする。桜が持つ死のイメージの中でこの世を去りたいと思っていたのではないか。遠い昔の歌人の心境を推し量るには、桜を眺めるしかない。
 
 桜の樹の根本には死体が埋まっていると断言したのは梶井基次郎だ。萩原朔太郎は桜を憂鬱だと言った。いずれも、病んだ視線が花を見ているさまが浮かぶ。いや、桜が病んでいるのだと彼らは言うのだろうが。でもある
 
 桜の時期はくにたちに花見の方が押し掛ける。ゆっくり歩けない時期でもあるわけだ。