「さよなら渓谷」 | くにたち蟄居日記

「さよなら渓谷」

 
イメージ 1
 
  「歩く」映画である。主人公とヒロインはひたすら歩いている。北野武の「ドール」を思い出した。

 「歩く」といっても、それは例えば長渕剛の「乾杯」の歌詞のような歩き方ではない。

 長渕は「今 君は人生の大きな大きな舞台に立ち、遥か長い道のりを歩きはじめた」と歌った。
本作の主人公とヒロインはそんな希望に満ちた歩き方をしているわけではない。むしろ一緒に歩く相手に不幸を強要しながら進む、苦役である。主人公がヒロインの讒言にて強いられた留置場での生活も、そんな「歩き」の変奏である。

 「歩く」中で レイプの加害犯であった主人公と被害者であったヒロインの立場が逆転していく。
「歩く」なかで精神が荒廃していくのは加害者から被害者になっていく主人公だ。そんな主人公に逃げることを許さないヒロインの表情が圧倒的である。

 横に並んで歩かなかった2人が次第に横並びになっていく。お互いに不幸であるために歩いてきた2人が幸せになりそうな瞬間にヒロインは履いていたサンダルを渓谷に脱ぎ捨て、幸せを拒否する。ヒロインが去ったことで主人公は解放された。
 但し、解放されたことで初めて主人公は主体的にヒロインと幸せになろうと決意する。そこで本作は終わる。その2人がどうなっていくのかを教えてくれない。渓谷に流れ去ったサンダルを取り戻せるのかどうか。あとは想像するしかない。

 語り部の雑誌記者が良い。彼は主人公とほぼ同じ位置にいる。主人公とヒロインの物語に近い物語を彼自身が抱えている点で本作に深みとコクが出ている。

 最後にヒロインの真木よう子に感銘を受けた。目の力が非常に強い。久しぶりに「大女優」という言葉を思わせる方に出会った。彼女の今後が楽しみだ。