「バベル」   | くにたち蟄居日記

「バベル」  

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 パシフィックリムで菊池凜子が好きになった。菊池というと本作が有名である。その程度の発想で本作を鑑賞
する機会を得た。

 実験的な作品だ。アマゾンのレビューでの見事なまでの評価の別れ方を見てもそれが分かる。これはとりも
なおさず、色々な趣味・興味の方が本作を観たということを意味するのかもしれない。
 実際、ブラッド・ピットやケイト・ブランシェットといった出演者を見て、メジャーなハリウッド映画を想定して
観た方も多かったろう。
 一方、役所広司等が米国映画に出ている点で観た人も多かったろう。菊池凜子のヌード目当ての人もいたに
違いない。

 そういう方が「バベル」という映画をどう咀嚼するのか。それが僕の興味でもある。

 バベルとは聖書に出てくる逸話だ。人がバベルの塔を建てようとしてことが神の逆鱗に触れ、雷で塔を破壊すると共に、それまで一か国語で話してきた人々に多国語を与え、人と人がコミュニケーション出来なくなったという
話だ。本作はその表題通り「言葉によるコミュニケーション」の問題を素直に扱っている。

 仲違いをしていた米国人夫婦は妻がモロッコで銃撃される。言葉の通じないモロッコで妻を介抱する夫は
いらだち、苦悩する。それを優しく支えるのは現地の寒村のモロッコ人だ。結果的には的確な処置を行った
ことで妻は助かる。介抱の家庭で夫婦は会話を再開する。

 聾唖者の菊池は、まさに話が出来ないという環境の中で東京を放浪している。言葉で伝えられないものを伝えようとする。言葉ではなく肉体を使ってコミュニケーションをしようともがく。そのもがき方が彼女のエピソードだ。

 米国夫婦の子供たちのエピソードにも惹きこまれる。ベビーシッターの軽率な判断で国境を越えてメキシコに
行ってしまう。戻ろうとした際に米国の入国管理官とコミュニケーションが取れないことで砂漠に迷うことに
なってしまう。子供たちとベビーシッターとの間でも話は難しい。

 以上のように考えながら、ゆっくり鑑賞した次第だ。決して簡単な映画ではない。見ていて楽しい映画でも
ない。ただ考えさせられた。