「年」という言葉 | くにたち蟄居日記

「年」という言葉

 
 忘年会の季節だ。
 
 ところで忘年会とは「年を忘れる」と書くわけだが、その「年」とは一体何なのだろうかと気になっているところだ。その宴会が「年を忘れて騒ごう」という趣旨だというなら、その年にはなんとなく「重い」ものがある気がする。まさか年齢というわけでもあるまい。
 
 「良いお年を」という言葉もある。これは年内にはもう会わないだろうと思われる人と
最後に交わす挨拶だ。1月1日からはもう使わない言葉でもある。ここに使われる「年」とは、これまた何なのか。
 
 こう考えてみると「忘れたい年」であるとか「良くてあるべき年」というニュアンスが
見えてくる。ますます、そんな妙な重みのある「年」とは何なのだろうかと考える
ことは案外楽しい。
 
 ここで思い出したのは「傘子地蔵」という民話だ。
 
 あの話は大みそかにおじいさんが「年越し」のお金を稼ぐために傘を売りにいく話だ。結局傘は売れず、帰りの路でお地蔵さんたちが寒そうだったので傘を上げたところ、お地蔵さんたちがお米やお金を持ってきてくれたという話だった。
 
 こう考えていくと、「年を越す」ということは実はかなり重いことだったのかもしれない。
きちんと新年の為にご馳走をこしらえて準備しなくてはならないという作業が師走の義務であり、それを「年」と呼んだのではないか。
 そんな作業は時として忘れたいくらいの激務だったのかもしれないし、それが上手く行くことをお互いにエールとして贈りあうということがあったのかもしれない。