「日本人へ」   塩野七生 | くにたち蟄居日記

「日本人へ」   塩野七生

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 塩野七生の快刀乱麻な同時代論である。

 本書で印象的な部分は司馬遼太郎とのやりとりだ。
 司馬は塩野に対して塩野の作品は「歴史研究でもなく歴史小説でもなく、その中間を行っている」と喝破したという。その司馬の言葉は、そのまま司馬に向けても違和感は無い。つまり司馬は塩野を「戦友」と呼んだということなのかもしれない。そう考えることは楽しい。

 塩野がなぜ欧州の歴史を描きながら、同じ切り口で日本の現代を語る事が出来るのかは、まさに「歴史研究でも歴史小説でもない」という塩野の興味の有り様から来ているのだと思う。

 塩野にとって、例えばカエサルやペリクレスは、まさに目の前に立っているセクシーな男であり、従い「現実」なのだろうと思う。本書の48~49頁では著作しつつ、描いている相手に、ぶつぶつと語りかけてしまう自分自身を塩野は語っている。そんな姿をある種の狂気と捉えることも可能かもしれない。但しそれは不毛な解釈の仕方でもある。塩野にとって、書いている相手とはまさに「現実」だ。従い、彼女は「現実」に対して語りかけているわけだ。それを通じて彼女は常に「現実」を書いているとも言えないか。だからこそ、同じ手法で日本の「現実」も書けてしまうに違いない。

 それにしても快刀乱麻だ。本書で切られまくっている方の反論も是非聞きたい。