人間の動態視力とは

僕の現在の通勤路は以下の通りである。
自宅→国立駅 徒歩15分
国立駅→信濃町駅
信濃町駅→会社 徒歩15分
従い、朝の徒歩の時間は合計30分となってい。
徒歩通勤30分というとなかなか疲れそうだが、「朝の散歩30分」と言い直すと
なかなか悪くないものがある。特に信濃町からの路は絵画館前を通り、
都内でも屈指の緑の多さだ。
散歩の好さは何なのだろうかと考えると、これは「速度」にあるのでは
ないかと思う。
「動態視力」という言葉がある。これは「動いているものを見る能力」と言う意味らしい。
例えば野球の選手は時速150kmで飛んでくるボールを見る力が優れているから、それを打ち返すことが出来ると聞く。自動車の運転でも速度が上がると視野が狭くなり、要は「見えて認識できるもの」が減少するということらしい。
その意味で歩く速度は周りの事物を見る速度として大変適しているのかもしれない。
実際、散歩の際には、しばしば「見物」している自分に気がつく。
散歩していると、周囲の物事がきちんと目に入ってくる。従い、色々な「気づき」
もそこにはある。
などと考えると、「速度」とはすぐれて人間の認識力に深く関わった問題なのかも
しれない。「速いか遅いか」という区別も人間の認識をベースに決めている気がする。
自動車の制限速度時速40kmと、人間が足で走る速度の限界の時速40km
(100m走の場合)がほぼ同じであるということも、要は「人間は自身で走れる最大の
速度(=40km)以上の速さでは、物事の認識力が極端に落ちる」という
ことなのだろうか。