「ポーカー・フェース」 沢木耕太郎

沢木耕太郎を最近再度読む機会を得ている。先日は「凍」を読み返したところだ。今回は本書を初めて読んだところである。
沢木の語り口は滔々としていて、ある種の「緩さ」がある。冒頭の話題からゆるゆると話が展開される。その「ゆるゆるさ」が
心地よい。他の方のレビューを拝見していると、その「緩さ」を評価されない方もいらっしゃるようだが、僕としては気にならない。
もっとも、僕自身が特急より鈍行列車が好きであるという性分だからかもしれないのだが。
もちろん沢木も最後は話を締めに入る。往々にして冒頭の話題に戻ることもある。要は「つかみ」に使った話を
「締め」にも使うわけだ。「乾杯」と「中締め」をぴしっとやり、その間は「ご歓談」というPartyにも
似ている。
ここで僕ら自身の「会話」を考えてみる。
人と話していてたまに思うのは、会話とは実に話がころころ変わっていくものだということだ。
「あれっ 何でこんな話になっているのでしたっけ?」と言ってお互いに笑ってしまうことは結構ある。
話がどう辿ってきたかを思い出してみるのも案外面白いものだ。誠に会話とはお互いがお互いの話に触発されながら
自在に動いていくものである。
動く速さが「電光石火」であることもあれば「ゆるゆる」であることもある。それは会話している人の性格に
因るのかもしれないが、「会話している同志の関係」にも因るかもしれない。
ごく親しい人と話していると緊張感無く話せるものであり、従い「ゆるゆる」した話になる気がする。
沢木の本書を読んでいてもそんな「親しさ」が感じられなくもない。
Partyにおいても、「ご歓談」が楽しいわけだ。ゆるゆると人と話したり、若しくは面倒なら部屋の隅で
静かにしていても良い。本書をどう読むかにおいても、同じような自由さがある。
沢木の語り口は滔々としていて、ある種の「緩さ」がある。冒頭の話題からゆるゆると話が展開される。その「ゆるゆるさ」が
心地よい。他の方のレビューを拝見していると、その「緩さ」を評価されない方もいらっしゃるようだが、僕としては気にならない。
もっとも、僕自身が特急より鈍行列車が好きであるという性分だからかもしれないのだが。
もちろん沢木も最後は話を締めに入る。往々にして冒頭の話題に戻ることもある。要は「つかみ」に使った話を
「締め」にも使うわけだ。「乾杯」と「中締め」をぴしっとやり、その間は「ご歓談」というPartyにも
似ている。
ここで僕ら自身の「会話」を考えてみる。
人と話していてたまに思うのは、会話とは実に話がころころ変わっていくものだということだ。
「あれっ 何でこんな話になっているのでしたっけ?」と言ってお互いに笑ってしまうことは結構ある。
話がどう辿ってきたかを思い出してみるのも案外面白いものだ。誠に会話とはお互いがお互いの話に触発されながら
自在に動いていくものである。
動く速さが「電光石火」であることもあれば「ゆるゆる」であることもある。それは会話している人の性格に
因るのかもしれないが、「会話している同志の関係」にも因るかもしれない。
ごく親しい人と話していると緊張感無く話せるものであり、従い「ゆるゆる」した話になる気がする。
沢木の本書を読んでいてもそんな「親しさ」が感じられなくもない。
Partyにおいても、「ご歓談」が楽しいわけだ。ゆるゆると人と話したり、若しくは面倒なら部屋の隅で
静かにしていても良い。本書をどう読むかにおいても、同じような自由さがある。