「私とは何か」 池田晶子

著者の池田が亡くなった後の「最後の新刊」シリーズである。本書の白眉は最後の「空を飛べたら」である。
「空を飛べたら」は、本書を信じる限り、著者が小学校六年生の際に書いた作文である。編者がこれを本書に収録した理由を考えることは興味深い。
編者は池田という方がごく若い時から文章を書く才能があったという証左として収録したという。但し数あったであろう「作文」からこれを選んできた理由は、それだけではないような気がする。書いた人が小学校六年生であることを一旦忘れて、この一編の童話を読むべきだ。
童話の主人公はニワトリである。空を飛べないニワトリが、飛翔を希求しつつ、最後に「ぼく、空を飛べなくてもいいんだよ」と言い切る話だ。
「空を飛べたら」は、本書を信じる限り、著者が小学校六年生の際に書いた作文である。編者がこれを本書に収録した理由を考えることは興味深い。
編者は池田という方がごく若い時から文章を書く才能があったという証左として収録したという。但し数あったであろう「作文」からこれを選んできた理由は、それだけではないような気がする。書いた人が小学校六年生であることを一旦忘れて、この一編の童話を読むべきだ。
童話の主人公はニワトリである。空を飛べないニワトリが、飛翔を希求しつつ、最後に「ぼく、空を飛べなくてもいいんだよ」と言い切る話だ。
この「空を飛べない鳥」は、実は書いた池田自身であるような気がしてならない。小学校六年生にして、周りの人と自分が異なっており、異なった人生を歩まざるを得ないことを予感していたのではないか。編者は、そんな池田の予感を「最後の新刊」にて紹介したいという野心を持っていたのではないか。そんな気がした。
池田は「飛ばない事」を選んだ。個性的な人生を歩み、夭折ともいうべき年齢でこの世を去って行った。副題の
「さて死んだのは誰なのか」とは池田が臨終の際に書いた言葉だと本書の著者紹介にあった。さて、死んだのは誰なのか?
池田は「飛ばない事」を選んだ。個性的な人生を歩み、夭折ともいうべき年齢でこの世を去って行った。副題の
「さて死んだのは誰なのか」とは池田が臨終の際に書いた言葉だと本書の著者紹介にあった。さて、死んだのは誰なのか?