自分でかんがえるその仕方 | くにたち蟄居日記

自分でかんがえるその仕方

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「 おそらく、人が、哲学はわからない、哲学をわかりたいと言うとき、わかっていないのは本当は、
  『哲学』ではなくて、『自分で考える』ことのほうだ。人生や自分について、自分でかんがえるその仕方
  がわからない、と言っているのだ」
 
                                     --「私とは何か」  池田晶子ーー
 
 「かんがえるその仕方」という言葉が重い。
 
 池田ほどのお方だとしたら「その仕方」なんでものは、そもそも無いのだということなのだと思う。考え方という
ものは果たして教えたり学べたりするようなものなのだろうか。
 
 「考える」とは目の前にあるように見える現実や世界をどうやって自分の定規で切り取り、整理し、整頓するという
極私的な作業である。考え方とは、その作業で使われる「自分の定規」だ。そのような極私的なものが普遍的なものになるとも思えない。