「π」

カルト映画というジャンルであろう。話としては「数学に取りつかれた男の狂気」というように纏めることは出来るとは思う。何か大きなテーマや思想が潜んでいる雰囲気は漂っているが、最後まで雰囲気で終わっている。「何かがそこにありそうだ」というムードで観客を引っ張っている点には「手腕」はあるが、それだけといえばそれだけである。
では大したテーマや思想は初めから無いという前提で本作を見直すとどうか。おそらくは本作を鑑賞する一番正しいアプローチはそこにあるのではないだろうか。
本作からテーマや思想といった「お飾り」を排除すると、見えてくるのは映像美に拘りぬいた監督の「趣味」である。モノクロで撮影することを選んだことから始まり、「数字」という「無機なるもの」と、脳漿やアリといった「有機なるもの」を「頭痛」という苦痛を通じて結びつけるという一種異様な作業こそが監督の趣味である。鑑賞している僕としても痛みこそ感じないがそれでも「無痛の頭痛」を強いられた場面もあった記憶がある。似た映画体験としてはルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」である。アリが脳漿を歩き回っている場面はブニュエルかダリからの引用に違いあるまい。
万人向きの映画とはとても言えない。ある種のニッチな熱狂ファンを獲得すべき分野の映画だ。レイトショーでロングラン上映されたと聞くが、まさにそれが相応しい公開のされ方である。まさにカルト映画だ。
では大したテーマや思想は初めから無いという前提で本作を見直すとどうか。おそらくは本作を鑑賞する一番正しいアプローチはそこにあるのではないだろうか。
本作からテーマや思想といった「お飾り」を排除すると、見えてくるのは映像美に拘りぬいた監督の「趣味」である。モノクロで撮影することを選んだことから始まり、「数字」という「無機なるもの」と、脳漿やアリといった「有機なるもの」を「頭痛」という苦痛を通じて結びつけるという一種異様な作業こそが監督の趣味である。鑑賞している僕としても痛みこそ感じないがそれでも「無痛の頭痛」を強いられた場面もあった記憶がある。似た映画体験としてはルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」である。アリが脳漿を歩き回っている場面はブニュエルかダリからの引用に違いあるまい。
万人向きの映画とはとても言えない。ある種のニッチな熱狂ファンを獲得すべき分野の映画だ。レイトショーでロングラン上映されたと聞くが、まさにそれが相応しい公開のされ方である。まさにカルト映画だ。