「身体を通して時代を読む」 甲野善紀 内田樹  | くにたち蟄居日記

「身体を通して時代を読む」 甲野善紀 内田樹 

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 本書を読んで改めて身体というものを考える良い機会となった。

 マラソンを走っている際に一番疲れるのは実は「脳」であるということが僕の乏しいマラソン体験からの感想である。走っている間にひたすら考えることは、走っている速度や残りの距離の計算だけではない。当然ながら足の調子、体の疲れ具合等、自分の体との「対話」を強いられる時間帯でもある。日常生活では考えないくらい体調というものを考えさせられ、その結果頭が疲れてくるのだ。僕はアマチュアのランナーなのでこれで済むが、プロのランナーは更に競争相手との駆け引きもある。本当に頭が疲れるだろうと想像する次第だ。

 そうした身体との対話の中で、改めて驚くことは、走っている際にも僕らは様々な情報収集と対応策を即座に行っているということだ。路面の具合や、傾斜、小石の存在等を目だけではなく足の裏で感じ取り、一瞬に判断して走り方を変えることの連続が「走る」ということである。その際に僕らは無意識にそれをやっているし、また無意識でやれない限り、とても走るということなどは不可能である。
 一言で言うと「足が考えている」ということだ。
 条件反射のテストがある。脛を叩かれると足が自動的に動くという話だ。僕としては、あの不思議な現象も「足が考えている」ということなのではないかと思える。

 そうした「脳以外で考える」という視点で本書を読むことは時として新鮮である。本書で紹介されている「重いものを持つ際に意外と軽いと体のバランスが崩れる」という話も、「身体が何を考えているのか」という一例として読むことも出来る。

 本書を読む限り、武術とは他者との「対話」であるということらしい。その「他者」とは「他人」であることもあれば、上記の「重いもの」も「他者」に含まれると思う。もっと言うと「脳」にとっては自分の身体ですら「他者」の一つであるはずだ。

 そうした「他者との対話」が武術であるという点で、本書が優れた「他者との対話法」足りえていると僕は思う。本書で展開される教育論や社会論は時としてユニークであるが、他者と自分がどう対話するのかという極めて大きなテーマを武術という切り口で切り取ることに新鮮味がある。マラソンにおいても自分の身体と脳との間の対話が疲労の一因であると考える僕にとっては非常に面白く読めた次第だ。