エスカレーターを歩いて
運転を中止しているエスカレーターを階段として使おうとして歩いてみると、非常に歩きづらい。もっと言うと、特にエスカレーターに足を踏み入れた際に、一種異様な感触があり、つんのめったりしてしまう。
どうやら、体がエスカレーターを見て、エスカレーターの対応した歩き方になっているような気がする。
子供はエスカレーターに慣れるまで結構時間が掛るものだ。動いているものの上に足を踏み入れること自体は実はそんな簡単な話ではない。エスカレーターの前で乗れなくて泣いている子供を見るとそう思う。
一方、一度エスカレーターに乗る方法を習得してしまうと、今度は止まっているエスカレーターに対応できなくなるから不思議だ。目で見て、止まっていることを認識しても体は動いている事を前提に足の運びを決めているような気がしてならない。
頭で分かっていても体が別の動きをするとしたら、案外人間は脳以外の部位でも「考えている」可能性があるような気がする。例えば条件反射を考えてみても、考える前に動いているわけだが、無意識に体が反応しているというわけでもない気がする。意識に登らない場所で「考えている」と思う方が正しいのではないだろうか。
生物学の本を読むとは、しばしば「動物としての人間」を考える機会だと思っている。僕らは僕らが思っているほど自分の事が分かっていないに違いあるまい。「自分を分かる」ということがどういうことなのかは、ずっと考えるべきものだろう。というか、「自分で自分を全て分かることは不可能だ」と考える方が、おそらく問題も少なくなるに違いない。「自分の事は自分が一番知っている」と思いこむことで起こった悲喜劇はいくらでもあるのだから。