スティーブ・ジョブス Ⅱ
下巻の白眉は424ページからの「最後にもうひとつ」であると僕は思う。ここに紹介されているスティーブ・ジョブスの言葉は読んでいて驚愕するしかない。
まず、彼はお金儲けと会社経営を厳密に分けている。大半の人にとっては会社経営を通じてお金儲けを狙うということなのだろうが、スティーブ・ジョブスの考え方はそれをいとも簡単に否定している。これは例えば芸術家がお金儲けと作品を厳密に分けているであろう点とほぼ重なって見える。その意味でスティーブ・ジョブスを動かしていた動機は芸術家のそれに極めて近い点が窺わせるものがある。
スティーブ・ジョブス以外のアントレプレナーも当初段階では芸術家に近い精神を持つ方も多いと僕は想像する。但し、事業化していき、例えばIPOでもするような中で、株価や時価総額といった「数字」で価値を評価してしまいがちなのであろう。数字は確かに目に見えるものであるし、透明性もあるので使いやすいことは確かだ。但し、それはあくまで価値を測る一つの物差しに過ぎない。一つの物差しに拘り、絡めとられてしまうとしたら、既に「価値」そのものを見逃してしまうだろう。スティーブ・ジョブスが自由だったとしたら、彼は数字という物差しには囚われなかったからだと僕は読んだ。
次に「クリエイティブであること」が如何に「残酷さを要求するか」という点が良く分かった。
本書を読む限りスティーブ・ジョブスという方は残酷な方だったのだと思う。それは彼自身がそう言っている。なぜ残酷でなくてはならなかったのかという点もはっきり書き込まれている。「お粗末なものはお粗末だと面と向かって言うだけだ」と彼は言うが、そんなことは凡庸な僕らには到底出来ない。また到底できないからこそ凡庸なのだとも言えるのだろう。
「クリエイティブであること」がいかにスティーブ・ジョブス自身に負担だったのかを読むことも本書の一つの読み方であると僕は思う。スティーブ・ジョブス自身が、スティーブ・ジョブスであることの犠牲者だったと言ったら、いささか言い過ぎなのだろうか。
まず、彼はお金儲けと会社経営を厳密に分けている。大半の人にとっては会社経営を通じてお金儲けを狙うということなのだろうが、スティーブ・ジョブスの考え方はそれをいとも簡単に否定している。これは例えば芸術家がお金儲けと作品を厳密に分けているであろう点とほぼ重なって見える。その意味でスティーブ・ジョブスを動かしていた動機は芸術家のそれに極めて近い点が窺わせるものがある。
スティーブ・ジョブス以外のアントレプレナーも当初段階では芸術家に近い精神を持つ方も多いと僕は想像する。但し、事業化していき、例えばIPOでもするような中で、株価や時価総額といった「数字」で価値を評価してしまいがちなのであろう。数字は確かに目に見えるものであるし、透明性もあるので使いやすいことは確かだ。但し、それはあくまで価値を測る一つの物差しに過ぎない。一つの物差しに拘り、絡めとられてしまうとしたら、既に「価値」そのものを見逃してしまうだろう。スティーブ・ジョブスが自由だったとしたら、彼は数字という物差しには囚われなかったからだと僕は読んだ。
次に「クリエイティブであること」が如何に「残酷さを要求するか」という点が良く分かった。
本書を読む限りスティーブ・ジョブスという方は残酷な方だったのだと思う。それは彼自身がそう言っている。なぜ残酷でなくてはならなかったのかという点もはっきり書き込まれている。「お粗末なものはお粗末だと面と向かって言うだけだ」と彼は言うが、そんなことは凡庸な僕らには到底出来ない。また到底できないからこそ凡庸なのだとも言えるのだろう。
「クリエイティブであること」がいかにスティーブ・ジョブス自身に負担だったのかを読むことも本書の一つの読み方であると僕は思う。スティーブ・ジョブス自身が、スティーブ・ジョブスであることの犠牲者だったと言ったら、いささか言い過ぎなのだろうか。