スティーブ・ジョブス Ⅰ
スティーブ・ジョブスという方は 名前は良く聞いてきたが、実像を知らなかったことで非常に興味深く読むことが出来た。読後感は二点だ。
一点目。
スティーブ・ジョブスが東洋思想やヒッピー文化をバックグラウンドにしていたという話は聞いたことがあったが、ここまでそれらに傾倒していたとは知らなかった。いや、もっと言うなら米国人が、かかる思想に突っ込む際の徹底ぶりには東洋人の一員の僕として驚いたということだ。
禅等にしても実際の日本人の何%が禅を組んだ経験があるのかと考えてみると、かなり少ない数字が予想される。スティーブ・ジョブスは京都が好きだったというが、彼が見ていた「京都」は僕らが見ている「京都」とは既に全く違うものだったのかもしれない。
僕らが日頃見逃しているものを「異文化」としてスティーブ・ジョブスが「見ていた」としたら、これは僕らとしても再度目をこすらざるを得ない。
二点目。
彼は色々な点で破綻していた点が良く分かった。そこまで書いた著者も著者だが、書かせたスティーブ・ジョブスもスティーブ・ジョブスである。この本を読んでいてフェアーを感じるのはスティーブ・ジョブスを聖人にしていない点にある。
破綻しているスティーブ・ジョブスになぜ人がついて行き、大事を成せたのか。これは彼が芸術家だったからとしか言いようがない。
「私はわがままな芸術家ではない。芸術家はわがままなものだ」
と言ったのは岡本太郎だと聞くが、まさにその言葉が当てはまる方が、ビジネスシーンに登場していたということなのだと思う。更に言うなら ビジネスシーンに芸術家が登場出来たという事自体が、極めて稀だと言えるのではなかろうか。
それにしても56歳にしても夭折という言葉を常に思わせる読書であった。
一点目。
スティーブ・ジョブスが東洋思想やヒッピー文化をバックグラウンドにしていたという話は聞いたことがあったが、ここまでそれらに傾倒していたとは知らなかった。いや、もっと言うなら米国人が、かかる思想に突っ込む際の徹底ぶりには東洋人の一員の僕として驚いたということだ。
禅等にしても実際の日本人の何%が禅を組んだ経験があるのかと考えてみると、かなり少ない数字が予想される。スティーブ・ジョブスは京都が好きだったというが、彼が見ていた「京都」は僕らが見ている「京都」とは既に全く違うものだったのかもしれない。
僕らが日頃見逃しているものを「異文化」としてスティーブ・ジョブスが「見ていた」としたら、これは僕らとしても再度目をこすらざるを得ない。
二点目。
彼は色々な点で破綻していた点が良く分かった。そこまで書いた著者も著者だが、書かせたスティーブ・ジョブスもスティーブ・ジョブスである。この本を読んでいてフェアーを感じるのはスティーブ・ジョブスを聖人にしていない点にある。
破綻しているスティーブ・ジョブスになぜ人がついて行き、大事を成せたのか。これは彼が芸術家だったからとしか言いようがない。
「私はわがままな芸術家ではない。芸術家はわがままなものだ」
と言ったのは岡本太郎だと聞くが、まさにその言葉が当てはまる方が、ビジネスシーンに登場していたということなのだと思う。更に言うなら ビジネスシーンに芸術家が登場出来たという事自体が、極めて稀だと言えるのではなかろうか。
それにしても56歳にしても夭折という言葉を常に思わせる読書であった。