「福島原発の真実」 佐藤栄佐久

本書を読みながら「国家の暴力」という言葉を常に思った。
国として電力安定供給という「全体最適」の為に、福島県の意見を「部分最適」と断定し、それを無視する形で原発が進められて来たことが本書を読んでいて良く理解出来た。
一般論として全体最適の為に部分を犠牲にするということは、あってはならない事だが現実としては有るとは思う。何かを選ぶ時は、それ以外を捨てることであることも多い。全ての人や物が幸せになるということは話としては美しいが、なかなか難しい。
但し、ここから先が問題だ。
「部分最適」を否定し、「全体最適」を錦の御旗としてきている国が、実は自分たちの間では「部分最適」だらけであることが本書から見えてくる。原子力行政や電力会社は所詮、自分たちの「部分最適」を求めているだけに見える。県の「部分最適」を否定しながらも、自分達は結局は自分達だけの為の「部分最適」に走っているだけではないか。これでは欺瞞であると言われてもしょうがないだろう。それが出来るのも国家が暴力を行使しているからだ。著者は国策捜査ともいうべき汚職事件で失脚を余儀なくされたという。
本書は福島原発の話だ。但し、例えば著者が最後に書いている自身の汚職疑惑における検察もほぼ同構造である様だ。著者は原子力行政と検察の持つ基本的な相似を描き出していると僕は読んだ。
これは人間の業なのだろう。日本だけの特殊な話だとも思えない。他の国でも大なり小なり同じような話はあるはずだ。そう考えると、本書は突き詰めて行くと人間論になっていくはずだ。
但し、そこまで抽象化している場合でもないかもしれない。原発事故は今なお現在進行形だ。本書で描きだされた様々な隠蔽も、現在なお進行中に違いないのだ。
国として電力安定供給という「全体最適」の為に、福島県の意見を「部分最適」と断定し、それを無視する形で原発が進められて来たことが本書を読んでいて良く理解出来た。
一般論として全体最適の為に部分を犠牲にするということは、あってはならない事だが現実としては有るとは思う。何かを選ぶ時は、それ以外を捨てることであることも多い。全ての人や物が幸せになるということは話としては美しいが、なかなか難しい。
但し、ここから先が問題だ。
「部分最適」を否定し、「全体最適」を錦の御旗としてきている国が、実は自分たちの間では「部分最適」だらけであることが本書から見えてくる。原子力行政や電力会社は所詮、自分たちの「部分最適」を求めているだけに見える。県の「部分最適」を否定しながらも、自分達は結局は自分達だけの為の「部分最適」に走っているだけではないか。これでは欺瞞であると言われてもしょうがないだろう。それが出来るのも国家が暴力を行使しているからだ。著者は国策捜査ともいうべき汚職事件で失脚を余儀なくされたという。
本書は福島原発の話だ。但し、例えば著者が最後に書いている自身の汚職疑惑における検察もほぼ同構造である様だ。著者は原子力行政と検察の持つ基本的な相似を描き出していると僕は読んだ。
これは人間の業なのだろう。日本だけの特殊な話だとも思えない。他の国でも大なり小なり同じような話はあるはずだ。そう考えると、本書は突き詰めて行くと人間論になっていくはずだ。
但し、そこまで抽象化している場合でもないかもしれない。原発事故は今なお現在進行形だ。本書で描きだされた様々な隠蔽も、現在なお進行中に違いないのだ。