「福島の原発事故をめぐって」 山本義隆

本書の副題は「いくつか学び考えたこと」となっている。これが本作の鍵だ。
本書で著者が展開する議論での素材や情報一つ一つには目新しいものは多分無いと僕は思っている。著者自身が「特別にユニークなことが書かれているわけではない」とあとがきで断言しているが、おそらくその通りであろう。著者が認める通り、著者は原子力の専門家でもないからである。従い、本書を批判するに際して、目新しさが無い点を挙げても的外れである。
但し目新しくない素材を集めた上で「学び考えたこと」の展開を通じて、本作は非常にコンパクトながらも、ピリリとした、山椒のような著作になっている。特に、人間が自然との対峙スタンスをどのように変化させてきたのかを展開する部分は大変勉強になった。原発が立っている土台には、人間の自然観と技術観、つまりは人間の哲学が存在している点は、今回の事故を通じて見えてきたものの一つである。
今回の事故を通じて、「脱原発」「原発継続」「原発推進」等の議論が発生している。これからもこの議論は続くだろう。
ともすると経済成長とのバーターというような議論(若しくは恫喝)に矮小化されてしまう可能性もあるが、本当に今の段階で試されているのは人間の哲学であると僕は思っている。
「哲学というような青臭い議論をしている暇は無い」という異論もあろうが、長いスパンで考えた場合には、必ず哲学の問題になると僕は確信している。いかに今後技術が発展しても、人間が内部から崩壊していく可能性は常にあると考えているからだ。
その意味では今回の事故を通じて「学び考えたこと」をどのくらい積み上げることが出来るのか。その一例として、著者が提起している「科学技術幻想とその破綻」という切り口は、大いに傾聴に値すると僕は考える。
本書で著者が展開する議論での素材や情報一つ一つには目新しいものは多分無いと僕は思っている。著者自身が「特別にユニークなことが書かれているわけではない」とあとがきで断言しているが、おそらくその通りであろう。著者が認める通り、著者は原子力の専門家でもないからである。従い、本書を批判するに際して、目新しさが無い点を挙げても的外れである。
但し目新しくない素材を集めた上で「学び考えたこと」の展開を通じて、本作は非常にコンパクトながらも、ピリリとした、山椒のような著作になっている。特に、人間が自然との対峙スタンスをどのように変化させてきたのかを展開する部分は大変勉強になった。原発が立っている土台には、人間の自然観と技術観、つまりは人間の哲学が存在している点は、今回の事故を通じて見えてきたものの一つである。
今回の事故を通じて、「脱原発」「原発継続」「原発推進」等の議論が発生している。これからもこの議論は続くだろう。
ともすると経済成長とのバーターというような議論(若しくは恫喝)に矮小化されてしまう可能性もあるが、本当に今の段階で試されているのは人間の哲学であると僕は思っている。
「哲学というような青臭い議論をしている暇は無い」という異論もあろうが、長いスパンで考えた場合には、必ず哲学の問題になると僕は確信している。いかに今後技術が発展しても、人間が内部から崩壊していく可能性は常にあると考えているからだ。
その意味では今回の事故を通じて「学び考えたこと」をどのくらい積み上げることが出来るのか。その一例として、著者が提起している「科学技術幻想とその破綻」という切り口は、大いに傾聴に値すると僕は考える。