「憂鬱でなければ仕事じゃない」 見城徹 藤田晋 | くにたち蟄居日記

「憂鬱でなければ仕事じゃない」 見城徹 藤田晋

 
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見城という方と藤田という方に各々興味が有ったので本書には期待していたが、結論的には期待外れであった。

 お二人の対談集であると思っていたが、そうではない。お互いへのエール交換はあるが、基本的には各々が自分の話をしているだけである。出版界の風雲児とIT業界の異才とのコラボであるなら、例えば電子出版の将来に関して取っ組み合いになるようなやりとりも有ってしかるべきだが、そういう場面も無い。仕事のやり方の話も良いのだが、もう少し違う次元の内容が有っても良かったのではないだろうか。

 次に、特に見城という方を通じて、再度「本とは何なのか」ということを考えさせられた。

 本とは「主に紙で出来た持ち運びが容易で長期常温保存が可能なもの」というハード面と、「書いてある内容」というソフト面がある。後者を作家が担当し、前者を流通も含めて出版界が担当している。見城という方は言うまでもなく後者の風雲児だ。彼としてはハードを用意した上で、どうやって上質のソフトを入手するかが仕事である。ここで「上質」と書いたが、見城という方にとっての「上質のソフト」とは、一言で言うと「売れるソフト」という事に他ならない点が本書からも強く伝わってきた。
 
 これは別に見城をおとしめている積りでは全く無い。

 本が売れない限り、ハードとしての出版界はビジネスとして衰退するしかない。電子出版にしてもコンテンツを買ってくれるお客がいない限り、同様であろう。羊皮紙以来の伝統を持つ「本」をいささか偏愛する僕としては、これは耐え難い状況であり、出版界が生き延びる事が出来るなら、少々下品な状況が有っても良いと思う。
 見城という方はそこが分かっていると僕には感じられる。幻冬舎の本に感じられるある種の「下品さ」は、そこから出てきていると考えているし、だからこそ、同社の動向には常に興味を覚える次第だ。「質が高く、しかし、多くは売れない本」を出すという出版社の志には感銘を受ける一方、徹底的に「売れる本」に特化する出版社も、全体最適の一つの重要な鍵だと思うからだ。