「原発事故はなぜlくりかえすのか」 高木仁三郎 | くにたち蟄居日記

「原発事故はなぜlくりかえすのか」 高木仁三郎

2000年に刊行された本書を福島原発事故の中で読む意義は非常に大きいと痛感した。

 本書は原発事故の技術的な解明を図るものではない。原発事故を繰り返す日本人の文化論として読むべきだ。本書で描き出される日本人は以下である。

 まず「組織」を再優先し、「個」としての意見を持たないという国民性である。

 組織から与えられる目標と基準の中で努力する余り、自分で考えるという姿勢が見えてこない。自分で考えない分、何か問題が起こった際に自分の責任を認識するということが出来ない。「言われたことをやっただけだ」という無責任の体系に入ってしまう。
これは太平洋戦争の戦争責任と同じだ。開戦時の閣僚は個人ベースでは開戦に反対でも、組織の空気で開戦せざるを得なかったという。組織の動きに抗わず、空気だけで物事が進んでしまう。原発の事故にもそんな部分は有ったのではないか。



 二点目としては自己検証機能が不全である点だ。

今回の原発事故の後で原子力保安院を経済産業省から切り離すという議論が急に始まった。プレイヤーと審判が同じ組織にあるという点の指摘だが、では、福島に大地震と大津波が来るまでは、かような問題点は誰も疑問視しなかったのだろうか。チェック機能不全は自然災害以前から存在してきたわけであり、自然災害が来るまで問題を自己検証出来なかったからだとしか思えない。

 こう本書を読んでくると、今回の福島原発問題は正しく人災であり、かつ日本人の固有な考え方に起因している部分が非常に多いと思わざるを得ない。

 死の床で本書を書いた著者は以下の通り書いている。

「なお 楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険性と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです」

 巨大な事故は起こった。放射性物質もたれ流しされた。しかもまだ現在進行形である。著者が本書で警鐘を鳴らした「日本人の思考法」は、今なお大して反省されていない。

若しかしたら福島原発事故は氷山の一角かもしれない。

 「氷山の一角」という言い方は今回の極めて大きな事故を表現するには本来ふさわしくない。苦しんでいる多くの方に失礼であると思う。但し、まだ見えていない更に巨大な事例も日本にはまだまだあるのではないか。それが最後の読後感である。


 災害の際の冷静さを称賛された日本人であるが、それにかまけている場合ではない。そもそも何で原発事故が起こったのかという部分をどれだけ自己検証出来るのだろうか。そこが僕らが試される場所だろう。