「八日目の蝉」 角田光代

この小説は「名前」の話だと読んだ。
主人公は「薫」「リベカ」「恵理菜」という3つの名前を持ってしまうことになる。第一章は、突き詰めると主人公が3つの名前を持つ経緯だ。
名前とは何か。考えて見ると、「名前を付ける」という風習は人類に古来から普遍的に存在する奇妙な習慣と言える。動物たちが名前を持っているとは思えない。名前が出来た瞬間に「個人」というものが誕生したのだと思う。
従い名前とはアイデンディティである。我々が初対面の人にはまず名乗るのもそれがアイデンディティだからだ。
3つの名前には、それに絡む社会関係がある。「薫」とは誘拐犯にして育ての親との親子関係、「リベカ」とはエンジェルホームという閉鎖された社会、「恵理菜」には産みの親との家庭関係である。主人公の悲劇は、そのような3つのばらばらなアイデンディティを抱え込まされた点に尽きる。
名前は自分で付けるものではない。他者から付けられるものである。3つの名前も全て付けられたものだ。つまり、3つの社会関係は他者から押しつけられたものである。その中で主人公はどれが自分の「本名」なのかも分からない。つまりどれが本当の自分なのかが解らない。これは考えて見ると怖ろしい話だ。
自分が解らない主人公は妊娠という形で、更に体内に他者を抱え込むことになる。この他者を認めることで主人公は漸く「自分はこの子の母親である」というアイデンディティを獲得することになると僕は思う。「自分の母親が誰なのか解らない」という不安定な状態から「自分はこの子の母親である」であるという確固たる状態に移るという予感が本書のラストを飾る。それこそが蝉にとっての「八日目」なのだろうか。
本書を、母親になることが出来ない男性が読むことは本来難しい。そう思いながら読み続けたが、「名前」という切り口で考えた場合、すとんと腑に落ちる思いがした。
主人公は「薫」「リベカ」「恵理菜」という3つの名前を持ってしまうことになる。第一章は、突き詰めると主人公が3つの名前を持つ経緯だ。
名前とは何か。考えて見ると、「名前を付ける」という風習は人類に古来から普遍的に存在する奇妙な習慣と言える。動物たちが名前を持っているとは思えない。名前が出来た瞬間に「個人」というものが誕生したのだと思う。
従い名前とはアイデンディティである。我々が初対面の人にはまず名乗るのもそれがアイデンディティだからだ。
3つの名前には、それに絡む社会関係がある。「薫」とは誘拐犯にして育ての親との親子関係、「リベカ」とはエンジェルホームという閉鎖された社会、「恵理菜」には産みの親との家庭関係である。主人公の悲劇は、そのような3つのばらばらなアイデンディティを抱え込まされた点に尽きる。
名前は自分で付けるものではない。他者から付けられるものである。3つの名前も全て付けられたものだ。つまり、3つの社会関係は他者から押しつけられたものである。その中で主人公はどれが自分の「本名」なのかも分からない。つまりどれが本当の自分なのかが解らない。これは考えて見ると怖ろしい話だ。
自分が解らない主人公は妊娠という形で、更に体内に他者を抱え込むことになる。この他者を認めることで主人公は漸く「自分はこの子の母親である」というアイデンディティを獲得することになると僕は思う。「自分の母親が誰なのか解らない」という不安定な状態から「自分はこの子の母親である」であるという確固たる状態に移るという予感が本書のラストを飾る。それこそが蝉にとっての「八日目」なのだろうか。
本書を、母親になることが出来ない男性が読むことは本来難しい。そう思いながら読み続けたが、「名前」という切り口で考えた場合、すとんと腑に落ちる思いがした。