「荒廃する世界のなかで」 トニー・ジャット | くにたち蟄居日記

「荒廃する世界のなかで」 トニー・ジャット

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 サッチャーやレーガン以来の価値観であった新自由主義が何を齎してきたのかということはだんだん僕らにも見えるようになってきている。

 一億総中流社会という言葉はある時期の日本を言い表していた。僕の記憶している限り、いささかの皮肉が込められた言葉だったと思う。中流という言葉の中途半端さが皮肉を呼んだのかもしれない。しかし、今となってみると、「中流」はともかくとして「一億総」という部分に実は安定した社会を維持出来てきた鍵があったということなのだろう。一億総中流社会とは実は良い時代だったのではないか。


 本書の基本線は「社会の中で不平等、格差が広がった場合には、結果としてその社会を壊してしまう」という点だ。新自由主義が「自己責任と自助努力」という呪いと共に、徹底的に個人のメリットを追求した点に対する著者の最も強い反論がそこにある。
 「自己責任と自助努力」という言葉を謳歌した連中はリーマンショックの際に、皮肉にも国に救済された。too big to failという仕掛けまで用意していた連中の賢さには感心するしかない。


 Winner takes allという言葉がある。敗者には何も残らないわけだ。敗者は退場せよと言われる。しかし、どこに退場させるのかということだ、社会から退場させようということなのだろうか?その延長上が本書にも出てくるゲートコミュニティーでしかない。勝者が住める場所はゲートで閉じられた狭い場所になってしまうのだろう。なぜなら勝者の数は少なく、圧倒的多数が敗者であるのだから。

 本書を読んで勉強になったことは世界は「大きな政府」と「小さな政府」の間を振り子のように動いてきているという歴史を持つということだ。新自由主義が横行したリーマンショックまでの流行は「小さな政府」である。震災後の日本はとりあえず「大きな政府」を志向せざるを得ないだろう。それほどまでの、この振り子の振幅は大きく、かつ揺れも早い。

 その「早い揺れ」の中で、そもそもの人間の社会というものはどうあるべきなのかを語るのが本書である。本書が説く社会民主主義は格差を減らし、平等を志向する哲学だ。それが本当に動物としての人間のあるべき姿なのかどうかはまだ結論は出ていないとは思う。但し、震災と原発問題を抱えた日本という特異な地点から見て、現段階では非常に魅力的な言説であることは確かだ。少なくとも最近の日本で「勝ち組、負け組」という言葉は聞かなくなったと思う。

 但し、繰り返すが、それが本当に人間の本性なのかどうかは分からない。