想定外 という言葉
今回の震災で一番使われている言葉の一つが「想定外」だろう。免責効果を持つこの呪文に頼っている人や組織が多く見られる一方、「それは想定内であったべきだ」という批判も多い。
但し、僕は、その両者に対して同様の違和感を覚えるのだ。
両者の共通している点は「人間は、物事を想定出来てしかるべきだ」という発想である。それを前提として、「その想定の外であった以上しょうがないではないか」という一種の天災を唱える人もいる。一方、同様にそれを前提として「想定自体が甘かったのではないか」という人災を訴える人もいる。「想定自体は可能だ」という点では基本的に両者は同じだ。
では、「人間は、物事を想定出来る」のだろうか。
僕は、それが可能だと考えることは基本的には傲慢なのだと思う。「物事は想定出来る」という前提で、物事を組み立てるから、上記のような不毛なやりとりが続くし、何より、今回のような大災難を招いているのではないだろうか。津波の高さも「想定出来る」として、その想定を元に各種の対策を打ってきた。その想定内なら良かったのだろうが、想定を超えた瞬間に、とてつもない被害が発生した。ある意味で「津波の高さは底知れない」というような考え方が有った方が、被害は少なかったのではないだろうか。
「杞憂」という言葉がある。中国の故事だ。「空が落ちてきたらどうしよう」と思って悩んでしまった人の話だ。心配性を意味する話らしい。
しかし、もしかしたら、杞憂とは、そんな笑い話では無かったのかもしれない。むしろ、「空が落ちないとは言いきらない」謙虚な方の話かもしれないのだ。
「人間は物事を想定出来る」という考え方は、ギリシア以来の哲学の大きなよりどころである。今回の震災を見ていて、つくづく「人間には物事は想定出来ないものだ」と思った次第だ。そんな僕は杞憂なのだろうか?