「タクシー ドライバー」 マーチン・スコセッシ

25年ぶりに鑑賞した。
主人公は「何か」になろうとしている男だ。問題なのは「何に」なりたいのかが自分でも分かっていない点にある。彼にとっては大統領候補を狙撃することも、売春婦のヒモ連中を一掃することも等価値である。たまたま前者に失敗し、後者をやったことで、世間的にはヒーローになった。但しそれは完全に結果論である。逆も有り得たのだ。
主人公の友人は主人公に「何者でもないことに充足する」ことを勧める場面がある。「我 唯 足る を 知る」という言葉を持っている僕らには共感出来る部分もある。但し、主人公は全く逆を行った。むしろ、その言葉を受けて、「何か」を目指し始めたと言える。
人間という動物は「何かである」ことに満足できず「何かになる」ことを求める。であるからこそ「足るを知る」というような反語が昔からあるということなのだろう。「何かになる」ことを求めて起こった悲喜劇は古来枚挙のいとまがない。人間の業の一つなのだろうと思う。かつ、その「何か」が自分で分かっていないことも大半ではないだろうか。その意味では本作の主人公は、僕らと等身大の人間なのだと言える。
では主人公と等身大である僕らが同じことをやるのだろうか。
当然ながら否定したくなるが、本当に否定出来るのか?その辺にこの映画の怖さがある。主人公は隣人かもしれないという以上に、主人公は自分かもしれないのだ。
主人公は「何か」になろうとしている男だ。問題なのは「何に」なりたいのかが自分でも分かっていない点にある。彼にとっては大統領候補を狙撃することも、売春婦のヒモ連中を一掃することも等価値である。たまたま前者に失敗し、後者をやったことで、世間的にはヒーローになった。但しそれは完全に結果論である。逆も有り得たのだ。
主人公の友人は主人公に「何者でもないことに充足する」ことを勧める場面がある。「我 唯 足る を 知る」という言葉を持っている僕らには共感出来る部分もある。但し、主人公は全く逆を行った。むしろ、その言葉を受けて、「何か」を目指し始めたと言える。
人間という動物は「何かである」ことに満足できず「何かになる」ことを求める。であるからこそ「足るを知る」というような反語が昔からあるということなのだろう。「何かになる」ことを求めて起こった悲喜劇は古来枚挙のいとまがない。人間の業の一つなのだろうと思う。かつ、その「何か」が自分で分かっていないことも大半ではないだろうか。その意味では本作の主人公は、僕らと等身大の人間なのだと言える。
では主人公と等身大である僕らが同じことをやるのだろうか。
当然ながら否定したくなるが、本当に否定出来るのか?その辺にこの映画の怖さがある。主人公は隣人かもしれないという以上に、主人公は自分かもしれないのだ。