百聞は一見に如かず
チュニジアやエジプトの「革命」を見ていると、インターネットが齎した情報の威力がまざまざと感じられた。動画配信等で映し出される「画像」の説得力は凄まじい。各国の政府が 思わずインターネットの規制に走ってしまうのも良く理解出来るというものだ。いかに従来の政府が「情報統制」で、「知らしむべからず、因らしむるべし」ということをやってきたということなのだろう。
百聞は一見に如かずという言葉がある。Seeing is believingという英語もあるくらいだから、世界共通の考え方なのだろう。誠に僕らは、「見る」ということに大きく頼っている。今、ここに目の不自由な方がいらっしゃる場合には、いささか礼を逸した発言だとは思うが、人間が視覚を信頼しているものには大きなものがある。
ところで、僕らは、インターネットが流してくれる映像を本当に信じて良いのだろうか。
映画の技術の進歩というものがある。僕らは特殊撮影によって、とても有り得ないような映像を観ることが出来ることが、この20年だと思う。映画なら、そもそも作りものだと分かっているから、安心して観ていられるわけだが、それでは、ネット配信されている映像が、特殊撮影に因るものではないと僕らはどうやって検証出来るのだろうか。
視覚に頼っているだけに、僕らは有る意味 たちが悪くはないだろうか。見たものを信じてしまうということがSeeing is believingの訳なのかもしれないのだ。そう考えると、ネット時代において、僕らはそのような距離感で自分の視覚と向き合うのかという課題が見えてきていると思う。
一見より、百聞の方が、実は正しいことを知る事が出来るのかもしれない。そんな反省を僕らは強いられる場面もあるかもしれないのだ。