「街場のアメリカ論」 内田樹

内田樹のアメリカ論である。本当に興味深く読め、途中ではたと膝を打つ場面も多かった。但し読後に一度冷静になる必要があると考えているところだ。
僕にとって一番不思議だったのは「はたと膝を打つ」自分自身である。なぜなら僕自身は殆どアメリカを知らないからだ。仕事でアメリカに行った回数を考えてみても大した数字は出てこない。アメリカ人の友人がいるかと考えても、知り合いレベルで数人だろう。アメリカの新聞を読んでいるわけでもない。アメリカの映画を観ることは好きだとしても年に数本程度だ。一言でいうと、「全くアメリカに関する知見がない」ということが僕自身の実態である。
そんな僕がなぜ本書を読んでいて「はたと膝を打つ」のだろうか。アメリカを知らない人がアメリカ論を読んで頷いてしまうとはどういうことなのか。
極言すると本書とは「日本人が理解しているアメリカ像」を切れ味よく書きあげた本なのだと思う。僕もアメリカを知らないとはいえ「日本人として理解しているアメリカ」という一種の共同幻想のようなものを持っているということなのだろう。そうして、その幻想をきれいに説明する言説に出会った際に感じる一種の既視感が、僕をして僕の膝を打たしめると考えることで、漸く理解出来てきたような気がする。
それはそれで重要な事なのだと思う。自分自身がある種の共同幻想に取り込まれていると理解することは、相対化することでもあるからだ。自分を少し離れたところから見つめるという作業は、常に大事なのだと僕は考える。
僕にとって一番不思議だったのは「はたと膝を打つ」自分自身である。なぜなら僕自身は殆どアメリカを知らないからだ。仕事でアメリカに行った回数を考えてみても大した数字は出てこない。アメリカ人の友人がいるかと考えても、知り合いレベルで数人だろう。アメリカの新聞を読んでいるわけでもない。アメリカの映画を観ることは好きだとしても年に数本程度だ。一言でいうと、「全くアメリカに関する知見がない」ということが僕自身の実態である。
そんな僕がなぜ本書を読んでいて「はたと膝を打つ」のだろうか。アメリカを知らない人がアメリカ論を読んで頷いてしまうとはどういうことなのか。
極言すると本書とは「日本人が理解しているアメリカ像」を切れ味よく書きあげた本なのだと思う。僕もアメリカを知らないとはいえ「日本人として理解しているアメリカ」という一種の共同幻想のようなものを持っているということなのだろう。そうして、その幻想をきれいに説明する言説に出会った際に感じる一種の既視感が、僕をして僕の膝を打たしめると考えることで、漸く理解出来てきたような気がする。
それはそれで重要な事なのだと思う。自分自身がある種の共同幻想に取り込まれていると理解することは、相対化することでもあるからだ。自分を少し離れたところから見つめるという作業は、常に大事なのだと僕は考える。