「未来惑星ブラジル」
カルト映画として名高い本作を2010年の年末になって漸く見る機会を得た。
まず視覚的なイメージは圧倒的である。
本作は1985年に作られたというから、もう25年前の作品であるわけだが、とてもそんな昔の作品だとは信じられない。
そのイメージも「美」と「狂」との間に存在している。実際ある種の狂気は非常なる「美」を伴うものがある。 例えばゴッホのいくつかの作品がその例として挙げられると僕は考える。「未来惑星ブラジル」には、そんなゴッホの絵のような趣があるのではなかろうか。
そのイメージも「美」と「狂」との間に存在している。実際ある種の狂気は非常なる「美」を伴うものがある。 例えばゴッホのいくつかの作品がその例として挙げられると僕は考える。「未来惑星ブラジル」には、そんなゴッホの絵のような趣があるのではなかろうか。
本作で語られる未来は悪夢以外の何物でもない。そんな時代は来る訳が無いと思いたい。但し、悪夢というものは、気が付かないうちに背後から侵入してくるものでもある。
ソフトな形での情報統制は既に始まっているのが現在ではないだろうか。各種の検索をネットで使っている間に、「この人は何を検索しているのか」という形で、個人の嗜好を他人が分析出来てしまう状況は、ある種の情報統制であると考えることも出来る。「ブラジル」は既に「未来世紀」ではなく、現代なのかもしれない。そう考えながら本作を観ることは非常に刺激的な体験になる。