最初の環境危機
「 世界史における最初の環境危機は、メソポタミアの灌漑農耕において生じ、
それは砂漠化に帰結している。
同じことがインダス文明にも黄河文明にも生じた。
これは、人間を収奪する組織(国家)が同時に自然(土壌)を収奪する組織であるという
ことの最初の例である。 」
-- 「世界史の構造」 柄谷行人 32頁 --
人間は自然の一部である以上、人間が自然を破壊したとしても、それを自然破壊と呼ぶのだろうか。例えば地中の微生物が色々なものを分解することを自然破壊と呼ばない事と、 どのような整合性があるのだろうか。
そもそも「破壊」とは何を意味するのだろうかと考え込んでしまう。僕の住んでいるインドネシアでは火山も多いが、噴火が山林を焼き尽くす場面を見ても、それを自然破壊とは呼ばないような気がする。同じことを焼畑農業がやった場合には時として自然破壊と呼ぶに違いない。
僕らは今の地球の状態を「大前提」としている。そうして、その「大前提」をどうやって保全するのかということに注力しているのではなかろうか。
かつて地球は星全体が凍りついたスノーボールという時代もあったと聞く。逆に非常に熱い時代もあったのかもしれない。従い、今のこの瞬間の状態も、また、過渡期の一つなのだと僕は思う。但し、今の「過渡期」が僕らにとって生存しやすいから、保全したいのだろう。これはつまり人間が自分を地球のオーナーだと思っているからに他ならない。それは厳密に言うと、やはり傲慢ということにはならないだろうか。
地球温暖化が進めば、熱帯や亜熱帯の動植物は喜ぶに違いない。インドネシアの風景を思いながら、ふと考えたことだ。