N君へのメール
N君
昨晩はバンドの大音響と多少の酔いもあって、僕として伝えたかった
ことが伝わらなかったかなと思っているので敢えてメールとする次第。
今回「カラマーゾフの兄弟」を読んだことで(今日漸く読了した)
久しぶりに文学の力を思い知らされた。
ちょっと言ったと思うが、今の日本の本屋に行くと新書だらけ。
新書は新書で実際に面白いし、役に立つ場面も多い。但し、そうは言っても
寿命が短い本が多いことも確か。百花繚乱の新書の中で、長い射程距離で
本を出しているのは中公新書くらいではないか。岩波新書にしても
はやりのテーマを取り上げた本が増えてきて、いささか情けない気がする。
その他の色々と出ている新書の本で10年後に残っていそうな本は
10~20%程度だと思う。50年後となると1~2%程度か?
新書を読むことは(繰り返しになるが)役に立つとは思うのだが、
今回久しぶりに「文学」を読んでみて、「文学」の持つイメージ喚起力に
驚かされた次第。やはり「物語」の力ってものがあるのだね。
組織においても、「新書的なメッセージの伝え方」と「文学的なメッセージの
伝え方」はある。例えば、ある経営者が言っていた「清く正しく美しく」
というメッセージは「文学的なメッセージ」だったと思うが、その文学性が
ある意味で新鮮だったような気が今になってする次第。それに比べると
「グローバル化」だとか「人材の多様化」というような最近の「経営呪文」は
「新書的なメッセージ」なので、何かそれ以上のものを喚起する面が欠けている。
ということで、うん、仕事においても文学は役に立つような気がしてきた。
例えば客先との交渉においても、時として「物語」は重要だと思う。
売買の当事者同士が、ある種の物語を共作していくようになると、その商売は
大体強い商売になっていける。売買の当事者は利益が相反することは言うまでもない
わけだが、相反する利益を超えたところで、共犯的に物語を作ることが出来る場面は
たまにある。そうなったときに感じる連帯感は心地よいものがある。カリスマ的な
営業マンとは、そんな物語作りが上手い人なのではないかな。
逆に言うと 「目先の利益に囚われる」という言葉は 「利益を超えたところでの
物語という視点を欠いている状態」をいうような気もするね。
くにたち蟄居日記 @バンコク