「ポピュリズムへの反撃 現代民主主義復活の条件」 山口二郎 | くにたち蟄居日記

「ポピュリズムへの反撃 現代民主主義復活の条件」 山口二郎

 本書で著者が目指していることは「考える世論の育成」であると読んだ。

 ここ十年の選挙を考えると、その時々のムードに強く引きずられている国民が浮かび上がる。また、その国民に更に引きずられる政治がある。一種の「愚のスパイラル」の中で、結果として社会が弱体化してきたことが、最近の日本だということが著者の最大の問題意識であろう。


 では、その「考える」ということは何なのか。著者はそれを語る為に「考えない」ということをポピュリズムという概念を通じて、描き出す。物事を単純化し、ステレオタイプに分け、敵と味方という二元対立を構成することによる判断停止状態を描き出す部分が本書の白眉だ。


 そこにはメディアの罪もうっすらと描き出されている。所詮、視聴率や購読者数という論理で動く私企業としてのメディアが、いかに小泉純一郎を始祖とする劇場政治に助けられたか。それは想像に難くない。政治のスポーツ化、ドラマ化はメディアにとって「美味しい」話だったに違いない。勿論 著者自身も、そんなメディアの構成要素の一人であるはずだ。


 それでは「考えた」挙句にどんな社会が有り得るのか。この点に関しては、著者も明快なモデルを提出しているわけではない。もっと言うと、少なくとも本書で著者はそれを提出しようとは考えなかったはずだ。
著者は「複雑さに耐えること」「幻滅への慣れ」「悪さ加減の選択」を主張する。要は「考えたとは簡単に言うな」ということだ。それが副題である「現代民主主義復活の条件」なのだろう。


 「考える」ことがいかに困難かは、人類の歴史を見れば良く分かる。但し、人類は途方もなく「考えてきた」ことも確かだ。「冷めた楽観、ねばり強い楽観」という著者の言葉が明るく感じられたのは、そんなところにあるのかもしれない。
 例え足が徳俵に掛かっていても、押し返す力は、「社会」にはあるはずだ。