「 戦後 日本が失ったもの 」 東郷和彦
感想は二点だ。
一点目。著者は日本の風景が醜悪になった点を嘆く。確かに欧州では、街並みへの美学を強く感じる場面が多い。観光地のみならず、普通の街においても、である。それに比べると、日本人の無頓着ぶりは際立つ。
但し、著者が理想とする日本の風景がいつの時代のものなのかが見えない。明治時代なのか、江戸時代なのか、縄文時代なのか。
著者は奈良の長谷寺の風景を讃え、かつ新しい美術館が景色を壊していると嘆く。長谷寺も創建された時代には、景色を壊す建物であったのではないか。年月を経て、今は自然の一部に溶け込んだだけではないのか。
著者がノスタルジーを感じている日本の風景も、それが作られた頃には美学ではなく、実用の一点で作られたものではないか。建築史には知見がない個人の意見にて正誤は分からないが。
二点目。著者は日本人のアイデンティティが失われつつあると言う。
これを考えるには「では いつ どのようなアイデンティティが日本に有ったのか」という問題設定が必要だ。そもそも「日本人」というものが出来たのは基本的には明治以降ではないか。それ以前は、「日本」という発想自体が希薄だったと聞く。
そう考えると、日本人のアイデンティティとは明治以降の ある段階に存在し、それが無くなってきているということなのだろうか?
僕は思うが「まんが日本昔話」というシリーズは案外僕らへの影響が大きい。僕らは、あのアニメで「昔の日本人のあり方」と刷り込まれた気がする。但し、あそこで語られる昔話とは、フィクションだ。
アニメで原日本人像が作られてしまってはいるとしたら、「失われたアイデンティティ」というものも幻想ではないか。であるなら今やるべきは、再度、今ここで新しいアイデンティティを構想し、新たな幻想として打ち立てるという戦略ではないのだろうか。
一点目。著者は日本の風景が醜悪になった点を嘆く。確かに欧州では、街並みへの美学を強く感じる場面が多い。観光地のみならず、普通の街においても、である。それに比べると、日本人の無頓着ぶりは際立つ。
但し、著者が理想とする日本の風景がいつの時代のものなのかが見えない。明治時代なのか、江戸時代なのか、縄文時代なのか。
著者は奈良の長谷寺の風景を讃え、かつ新しい美術館が景色を壊していると嘆く。長谷寺も創建された時代には、景色を壊す建物であったのではないか。年月を経て、今は自然の一部に溶け込んだだけではないのか。
著者がノスタルジーを感じている日本の風景も、それが作られた頃には美学ではなく、実用の一点で作られたものではないか。建築史には知見がない個人の意見にて正誤は分からないが。
二点目。著者は日本人のアイデンティティが失われつつあると言う。
これを考えるには「では いつ どのようなアイデンティティが日本に有ったのか」という問題設定が必要だ。そもそも「日本人」というものが出来たのは基本的には明治以降ではないか。それ以前は、「日本」という発想自体が希薄だったと聞く。
そう考えると、日本人のアイデンティティとは明治以降の ある段階に存在し、それが無くなってきているということなのだろうか?
僕は思うが「まんが日本昔話」というシリーズは案外僕らへの影響が大きい。僕らは、あのアニメで「昔の日本人のあり方」と刷り込まれた気がする。但し、あそこで語られる昔話とは、フィクションだ。
アニメで原日本人像が作られてしまってはいるとしたら、「失われたアイデンティティ」というものも幻想ではないか。であるなら今やるべきは、再度、今ここで新しいアイデンティティを構想し、新たな幻想として打ち立てるという戦略ではないのだろうか。