善意の怖さ | くにたち蟄居日記

善意の怖さ

 最近たまに思うのは、善意は時として怖ろしいということだ。
 
 善意でなにかを申し出て、それが受け入れられない時に人が見せる怒りは非常に強い。受け入れられなかったということを冷静に考えてみると、要は相手にとっては有難迷惑だったわけなのだろうが、その点がなかなか理解できないということなのだと思う。
 
 ある意味で 悪意に関しては対処する方法を考えることが出来る。悪意を持った同士は、案外一緒に仕事が出来るものだ。「相手は悪意を持っている」という前提に立っていれば、うまく行かなくても 意外と腹が立たない。上手くいかないことが「想定内」だからなのだろう。例えば 国と国との外交は良い例だと思う。お互いに国益を争うという「悪意」を持っていることが分かっているからこそ、妥協点が出てくるのだ。
 
 善意には妥協点はない。限りない愛情は、時として悪意以上に悪魔的になるのだ。そうして対処する方法が本当に限られている。
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