「はやさ という 呪い」

「はやさ という 呪い」という言葉を ひょっと 思いついた。
「はやい」という言葉は妙にイメージが良くはないだろうか。
「仕事がはやい」
「頭の回転が はやい」
「動きがはやい」
「はやい」代わりに「おそい」を上記に入れたら、かなりの悪口ではないか。相手が会社の同僚であろうと、親であろうと、妻であろうと、見知らぬ人であろうと、 かかる悪口を言った日には、何が起こるかしれたもんじゃない。かように 「悪口」なのだ。
でも、いったい 「はやい」ことって そんなに良いことなのかいな?
そんな疑問がちらと心を横切る日もある。大体、何かに疲れて、寝転がっている午後だ、そんなことを考えてしまうのは。
ええい、なんで、はやくなくてはいけないのか。いったい、だれがいつそれを決めたんだ。
「はやさ」が見逃すものだって、きっとあるに違いない。「はやい」ことで、出来なくなっているものはあるのではないだろうか?
寝転んで、上を見ながら、そんなことを考えている。
僕らは 「はやさ」に取りつかれている。「はやくあるべきだ」ということに縛られている。もう、これは「呪い」ではないか。 もっと 豊饒な「遅さ」を考えるべきではないのか。