よく供養後に言われる言葉に、「心が楽になりました」「心が癒されました」と言われます。
そうすると、先立った者たちの為の供養でいらしたのに、辛く悲しい自分が楽になり、自分自身の為になってしまい、「何だか自分の為に来たみたい」と言われます。
それでいいじゃないですか。
だって、先立った者たちは、残してきた者たちの幸せを願っているのだから。
愛する者を失って、悲しい、辛い、苦しい、そういう心を少しでも楽にしてあげたくて、供養という儀式を通じて、仏さまとして、守護者として、愛する者の心を救おうとしているのだから、癒されていいのだし、楽なってもらっていいのです。
そもそも、お経というものは、生きる教えが記されているものであって、死者の為だけではなく、生者の為でもあるのです。
先日も檀家さんのご葬儀で、「若さんにお経挙げてもらうまでは、心が落ち着かず、どうしていいものか戸惑っていたところに、お経とお話をしてくださり、心が穏やかになったんです」と葬儀の後のお寺参りで言われました。
「葬儀が終わったら、祖父の顔が笑っているように見えるんですよ!」
お茶を飲みながら、写真の見え方は変わるものというお話をして、心が穏やかになったから、そのように視えるようになったのですよ。
悲しみの心で視れば悲し気に映るもので、心が穏やかになり感謝の気持から視えるようになったから、笑っているように見えるのですよ。
ってね!
先立った者たちへの想いを供養という形に変え、供養された者からの想いが返ってきて心癒されたのでしょうね。
供養というものは、どちらの為でもあるのですから。
あぁ、もう時間だ。
ワンコちゃんの月経に行かなきゃ!
おしまし。
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「ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室」双葉社
「老いゆくペットと幸せに暮らすための40の心得」双葉社