天秤は、ものごとの大小・軽重を計るもので、一本の棒の真ん中を支点として、左右に同じ重さの物を乗せれば平行は保たれ、どちらかが重ければ下がり、軽ければ上がるというもの。
古くは古代エジプトの死者の書に、死者の魂の善悪を判定するために用いられたり、ギリシャ神話の女神から正義と公正の象徴として、裁判所の前にはその像が飾られたり、公園の遊び道具としてシーソーに用いられたりしております。
私たちは日頃から、物事を天秤にかけて、軽重・善悪、良し悪し、好き嫌い、向き不向きなどを計って、出来るだけ自分に有利になるように、不利にならないように生きているものです。
そして、ついつい同じようにして、愛情というものをも天秤で計ってしまうのですよね。。。
こうしてくれたら・・・
ああしていくれれば・・・
というか、これって天秤で計ってますか?
それって、条件とかのような気が・・・
ペットロスにおける天秤となると、
・失った悲しみと暮らした幸せ
・尽くしてくれた事と尽くせなかった事
・あの子と自分
・後悔と感謝
などなどと、左右に分けて事の軽重を計ってしまうものです。
失った悲しみって、相当なもので、想像していたものと違うし、こんなにも大きなものだったのかと、愛するペットを失ってみて、大切な存在の大きさに気が付いたりしますよね。
ペットたちは私たちんお体の大きさから比べると、大した大きさではないのに、心に占める割合は大きくて、心にぽっかり穴が空き、半身を失かったかのように感じますからね。
そうすると、失った悲しみの方が重すぎて、こんな思いするのなら・・・と考えますが、その「・・・」って天秤にかけるものなの?
こんな悲しい思いをするのなら、飼わなければ良かった?
こんな辛いことを経験するのなら、もう飼わないようにしよう?
こんなに悲しい思いをするのなら、愛さなければ良かった?
こんな辛いことを経験するのなら、出逢わない人生の方がいいの?
天秤で計る前に、「たら」「れば」なんてもの追加したら、ちゃんと計れませんよ~
理科の天秤の実験の時に、重りに使う分銅を素手で触ってはいけませんって習いませんでしたか。
人の手垢が付いて正確な重さを計ることが出来ないって習ったはずですよ!
『あの子と暮らした幸せ』 と 『あの子を失った悲しみ』
『あの子と出逢った人生』 と 『あの子と出逢わなかった人生』
物事の考え方はひとそれぞれだけど、
これって、天秤にかけないと計れないもの。。。
私なら、天秤いらないなぁ。
天秤で計らなくても、幸せの方が比べ物にならないくらい大きいもん。
天秤で計れるは、図体の大きな割には心は小さく、偉そうにしているけど脳は小さく、愛だ優しさだと唱える割には条件付きだと分かるだけで、あの子たちが私の人生に与えてくれた大きさは計ることが出来ないなぁ。
だって、無償の愛を施されては、あの子たちに敵わないよ~
(ただのお馬鹿なお坊さんですね)
悲しみの最中にあっては、悲しみが相当大きなものとして、心に重くのしかかっているでしょうから、比べ物にならない大きな幸せがあったことも霞んでしまいましょうけどね。
ちゃんと天秤で計れるようになれたら、計る必要のないほどのものだと気づきますよ。
いや、気づいているから、悲しいのですよね。
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私の著書:
「ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室」双葉社
「老いゆくペットと幸せに暮らすための40の心得」双葉社