存在って言葉を辞書で見ると、簡単なようでいて哲学的になって難しくなりますが、「人間や事物があること」となります。
結局は簡単な、「ある」ということなんですよね。
「ある」と「ない」は大きな違いですよね。
「ある」には、1~10というように少しから多いまでの幅がありますが、「ない」は0であって無ということですからね。
愛する者を喪った時に、大事な存在を失ったというのですが、見えている姿が失われたのであって、存在はしているのですよ。
目の前の大事なものを失って無になるのであれば、心でも思うことは無くなるのでしょうけど、目の前の対象が消えたとしても、心には思いが残っているのですよね。
今まで気づかなかったのでしょうけど、目の前にあることだけが「ある」となっていたのでしょうね。
本当は目の前にあるように見えただけで、実は心の中にこそ「ある」という存在があって、その映し身を見ていたのかもしれませんね。
記憶という情報として残っていることも存在です。
想いという心情があるのも存在です。
目の前から失われたはずなのに、なんで存在するのでしょうね。
共に暮らしてきた人生は、自らが生きた証となって刻まれているでしょうし、何かに気づき、何かを学び、何かを得たのであれば、無ではありませんよね。
あなたが見て、あなたが触れ、あなたが想い、あなたが愛した存在は、目の前から見えなくなっても、あなたの心に姿を宿しておりますよ。
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「ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室」双葉社
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