秋のお彼岸の際に、手が綺麗と言われました。
確かに、他の男性と比べるとゴツゴツしていないので、比較的綺麗なのかもしれません。
私は男性ホルモンが少ないのか、喉仏も出ていないし、体毛も少ない。
電話では話し方もあるけど、声色も女性と間違われがち。
小柄で肌も比較的綺麗、美尻なこともあり、変な意味で男性に好かれるほど。。。
(私としては女性に好かれたいのですけどね!)
手が綺麗と言われて悪い気はしないのですが、その後に「東京の人だから」という言葉が追加され、別に東京育ちだから綺麗な手をしている訳ではないと思う。
相手は、田舎育ちでいろいろな作業をしていないからとの言い方のようだったが、育ちで言えば田舎よりもワンパクな野生児のような遊び方をしていたので、私は都会では問題児だったかもしれません。。。
それに、私はお寺でいろいろと作務をしておりますよ。
境内整備でしょっちゅうセメントしておりますし、
リフォームくらいの大工仕事なら全部自分でしてしまいます。
植物好きだから土いじりもします。
ガンプラに色塗りもします。
そんなことから、手は汚れますし、手荒れも起こします。
だからこそ、仕事のある日には手の汚れるような作業はしません。
だって、その手で愛するペットに触って欲しくないですからね。
(私だったらそう思うから、そう思うことはしないのだ!)
セメントや伐採、大工や園芸、色塗りもしません。
いくら綺麗に手を洗っても、お風呂に入って洗う綺麗さとは違います。
お寺にきたペットたちを仏前にて撫でながら声を掛けたりしますので、
皆様の前で手を見せることになりますから、いつも手は綺麗にしております。
爪は短く、手に傷や荒れがないようケアしております。
でも、何でも手袋や軍手などせずに作業するので、素手でセメント補修するから荒れますし、素手で竹林の伐採しますから手傷が絶えません。
こんなことをするのはお客様の予約がない日であったり、お客様が終わってからの作業ですからね。
そんなこともあって、夕方から大工作業したりしますので、20時頃まで釘を打ったりしています。。。
私の手が綺麗なのは、もっと他の理由があるからです!!
それは、この手で愛した者たちの感触を忘れないよう、手に想いを留めているからです。
私のこの手には僧侶になる前から祈りが込められているのです。
あの子の毛並みや体格、肉球の感触から手の大きさ、シッポの形状、抱っこした時の感覚、それぞれ違うみんなの感触を忘れないようにしているのです。
実際には撫でることも抱きしめることも出来ませんから、せめてその感覚や感触を忘れないようにしているのです。
うちの子たちとして私が看取ってきた子たちの感触が私の手にはあるのです。
うちの猫たちのそれぞれの感触。
うちの鳥たちのそれぞれの感触。
道路で亡くなっていた子たちの感触。
命を救ってあげられなかった子たちの感触。
私の手にはいろいろな動物たちの感触が宿っており、みんなの命の姿をこの手に宿しており、この手を合わせて日々お祈りを捧げているのです。
それは、お坊さんになる前からのことです。
私の手が綺麗なのは、私の手には想いがあり、祈りがあるからだと、私は思っております。
大学の4年間は格闘技人生で、アザとキズで綺麗な手とは言えませんでしたけどね…
床や道路で拳立て(拳で腕立てすること)していたので、拳の皮がえぐれて骨が見えることもありました。。。