2011年11月11日1時11分11秒
デジタル時計に1が9つ並んだ。これを二乗すると
111111111×111111111=12345678987654321
この式がなんか不思議に感じるんだよね
TPP問題
日本時間の2011年11月11日11時11分11秒、イギリスでは午前1時11分11秒
その頃、日本の国会議事堂ではTPPに関する臨時国会
三橋貴明さんのブログに詳しいけれど
この首相は情けないなぁ、と思いながら朝まで見てしまった。
現段階では、TPPには反対です。
参議院答弁の最後に福島瑞穂氏が、
「国会で総理の意思を表明せずに、APECの記者会見で参加を表明する事は、断じて許されない」
と言っていたけど、これは本当にそうだと思う。
参加の方針を出してないから何を言っても暖簾に腕押し、議論にならない
そんで交渉前向きなんて言葉でアメリカにはYESといい、国民には曖昧にすませる、なんだそれ。
国家と経済
ネットでTPPの議論を観察すると、国家軸VS経済軸の構図に見えたりする。
これは右翼とか金の亡者って話ではなく、其々が思考の基軸にしている共同体の形式
ということは反対派の俺は国家軸の共同体形式を受け入れてる事になるんだけど・・・
でもまぁ、この辺は微妙
日本人である事は確かだけど、共同体の認識が国家では収まらない実感はある
大学が海外だったからFacebookの友人は半分以上日本人ではないし
「大切な人」って言葉に付随して浮かぶ顔は国家とは全く関係が無いしね。
だけどね、だから経済軸に・・・とはならない。
この前も書いたけど国の自給率は大切、しかもそれは食料の話だけではない。
ヨーロッパが経済危機で分裂しそうになっているけど、それはどういう事なのか?
共同体ののサイズ
現代の問題点だと思ってしまう効率至上主義。
平たく言えば、何かを共有するためには数字の立証が必要だと思う人が多いこと。
そりゃ科学ってすごいけどさ、そのすごさはわからない事の自覚だからね。
例えば小さな共同体が自給自足できる環境での「安定」という価値は、数字ではなかなか立証できない
100人よりも、1億人で生きた方が個々人の仕事が専門化して効率がいいという思想が蔓延しているし
そもそも小さな共同体では
増殖の魔法が使えないから、その時点で大国に自然からの分け前を減らされる。
だから安定の視点から人間生活を研究することもできないっていう現状
TPPに入るとアメリカのブロック経済に入る事になる。
ISD条項っていうのは、アメリカ的資本主義経済のルールを日本に適応してしまうっていう事
そうなってくると、TPP参加国はある意味で運命共同体、喧嘩は命取りになるんだよね
でもさ、その相手がもし戦争をしたら、その運命共同体の人間はどうなるんだ?
世界の意識はもう混ざり始めてしまった
もうそれは誰にも止められない
量子テレポーテーションか! なんてツッコミを入れたくなるくらいww
でも、意識の混ざり合いは個々人からアメーバのように起こっている
自分の秩序をどう保つかって言うのがまず第一の問題だからね。
ISD条項の様な文章で、その共同体の形をブロック経済として区切るのは、
地図で国境を区切るようなもの、それが中東紛争の原因だった事を忘れちゃいけない。
別に良い事ではないけれど、山と川と海と人間の身体の関係によって
喧嘩の多い共同体の間に生まれてしまったのが国境でしょ?
世界民の身体
マルチチュードって言う言葉がある。
最近ではアントニオ・ネグりっていう人が提唱している概念で
権力のある国家が主権をとる世界ではなく、世界のネットワーク上に権力が浮かび上がるっていう意味
これは読み違えも含めて、ホワイト革命やTPPの意義に含まれている概念で、とても興味深い
マルチチュードのミッション(引用)
第1に、移動の自由を獲得することである。自分がいるところ、自分が生きているところで選挙権をもてるようにする。これが生政治(ビオトープ)という意味の本来だ。しかし現在は、この生政治の自由は資本と国境が管理している。ここから脱出しなければならない。そしてどこへ行っても選挙権を得ることである。
第2に、どこで生きようとも最低賃金が確保できることである。これはいいかえれば「富の分配システム」を変更することにあたる。この変更の権利をビオスという。端的にいうのなら、生きようとすることが報酬の対象になるような、そういうビオスのシステムを執拗に提案することだ。
そして第3には、あらゆる権利を再領有する可能性をひらいていくことである。これがマルチチュードが闘うための展開シナリオのひとつの橋頭堡である。再領有とは、いったん離れたものも離れさせられたものも、ともに本来の領有を宣言するということをいう。
松岡正剛の千夜千冊確かに世界は国家権力に変わる自由なルール「マルチチュード」を求めている。
ただ国際経済がそれを担うのは、今のところ厳しい。なぜなら経済の本質は需要と供給だけど
経済のルールは投資と配当という階層で行なわれているから。
これが簡単にわかるのは、
ミヒェルエンデのモモに出てくる時間泥棒じゃないだろうか。
じゃぁ、自由貿易、つまり物質の移動でマルチチュードが立ち上がるのか?
第一に前述の経済ルールの矛盾
第二に後述の人間の身体的特徴として、それは難しいのではないかと思う。
人間の身体にプログラムされた性質は、周りの物質の効用に従うようにできている。
それが環境の秩序だと人間は捉えているから、このプログラムは簡単には変わらない。
物質の移動は、このプログラムを活用して意識を混ぜるために働いていると言ってもいい。
でも皿で茶漬けは食えない、ドリルで釘は打てない、ムスリムはクリスマスセールをしない
矛盾する物質から選択する事は、生活スタイルの選択でもある。
そういう物質先行型の生活は、気をつけないと精神と身体の均衡が崩れる
精神が身体を通り越して物質にくっついちまう症状が出てきて
精神と身体が同時に振動する感覚を剥ぎ取ってしまう。
個人的には
致死的退屈症を思い出すんだよね。
まぁ、久しぶりに運動すると筋肉痛になるのが身体、習慣を活用して生きるしかないのが人間。
地上の生物なんだから、
昨日と今日が地続きである事が大切だと思う。
でも、明日が地続きかどうかは誰にもわからない。
宇宙人が来るって話が、そんなに嘘っぽく聞こえない時代になってきたし(俺だけかなww)
でも明日が地続きじゃないかもしれないから、昨日と今日を地続きにしておきたい。
これからも変化のスピードが速くなるのは目に見えてる
だからこそ、生命の秩序がすごいって事を再認識して、活用しないといけない。
自我(エゴ)じゃなくて自身(身体)ってのは、精神と身体の同時振動にある。
ん?なんだかスピってきちゃったな。
TPPが考えさせる事は、変化にどう対処するかっていう事なんだと思う。
こうすればマルチチュード!なんて方法はないし、現れても目前まで判断できないだろう
だから、とどのつまり、大切なのはまず自分って話になるなぁ
俺が想像しうるひとつの理想は
地産地消の生活で身体を保ちながら、精神は世界を舞台に流動的な生活
物に支配されてる身体、その身体に支配されている精神、その精神を身体と並べるだけで自由度はあがる
こういう時代だからこそ、変なのに巻き込まれずに変化しましょ
って
野田総理がTPPに参加表明して、どうなんだよーって気持ちを整理するために書き始めたけど、
考えれば考えるほど考えることの無意味さが際立つ最近。
よーし、内職頑張るぞー