今、たった一人で、スキーマ療法をしています。

 

 お膳立てのBOOK1では、マインドフルネスや、認知行動療法、ストレスコーピング、安心安全を構築するイメージワークなどをやるのですが、上手くできるものもあれば、あまりできなくて放置しているものもあります。

 

 それと並行して、セルフコンパッションのワークブックもしていますが、「なぜ自己批判をするのか」などの解説が、心に響き、腹落ちしました。

 

 今は、それが逆に生きづらさに繋がっているけれど、機能不全家族の中では、有効な手段で、自分の心を守るために役に立っていた、などの事実を、改めて、少しずつ理解し始めています。

 

 スキーマ療法は通常、信頼できるセラピストの元で進めるのが王道のやり方です。

 

 過去を振り返ることは、時として、感情のバックドラフトやフラッシュバックが起きることがあるからです。それは、セルフコンパッションでも触れてあります。

 

 ですが、私にはもう、信頼できるカウンセラーはいません。

 

 私から繋がりを絶ったわけではなく、彼女の方から、繋がりを絶ったという事実は、過去の見捨てられ経験を彷彿とさせるものであり、独身時代までにずっと感じていた絶望感と匹敵するくらい、奈落の底に突き落とされた恐怖です。

 

 カウンセラーと言えども、人間。一時期を共有し合う期間限定の関係。

 

 それはわかっていても、どの道、終わりを迎えるのなら、対面で、笑顔で今までの感謝の言葉を述べながら、別れの会話をしたかった、のが本音です。(私が一方的に、特別なつながりだと思い込んでいただけでした。)

 

 こんな時、SNSは簡単だけれど、希薄な関係だなと感じます。今は会社への退職もLINE一本だったりするのですよね、特に若者世代は。

 

 カウンセリングを行うセラピストは、一時的な養育者の代わりもする為、あえて、クライアントを下の名前で呼んだりします。それは、心を開かせ、理想的な親の代わりとなり、愛着のやり直しを促すものです。

 

 これは、カウンセリングの手法のひとつであり、カウンセラーがクライアントをどう思っているか、とは、全く関係ないことです。

 

 すっかり幼児に戻りきって(元々、精神的幼児ですが…)幼児的万能感で、依存や甘えを出してしまうシーンを解説映像を見ていて、私は恥ずかしくなりました。見かけは大人だけれど、中身は幼児そのもの…。

 

 今思えば心を全開にして、醜態を晒したみたいで、恥ずかしい限りです…。

 

 話がやや逸れましたが、スキーマ療法お膳立て編では、後半に、自分の過去を振り返り、人生の年表を作るところがあります。

 

 ところどころ断片的には、出来事を思い出せるけれど、激しく落ち込んだ出来事ばかりなので、外在化(ノートなどに書き出すこと)さえ、あまりしたくないのが本音です。

 

 ただ、私の人生の中で一番辛かったことは、幼い頃から、母への信頼を常時、裏切られて、傷つき体験を繰り返していた、という事実です。

 

 (それは心理的に暴走する母を止めるどころか、結託して、娘である私や息子である兄を、依存の沼に落とした父に対しても、根深く残っています)

 

 私は母のカウンセラーであり、愚痴の聞き役であり、感情のゴミ箱であり、母は理想的な母親を演じて、自分の無意識の渇望感を埋めたいがために、私を否定し、自分が正しいことを、いつも証明したがっていました。

 

 「何でも私に相談しなさい。何でも解決してあげる。言うことをきいておけば、何も間違えない。」これが、両親の口癖でした。

 

 しかし外で傷ついた出来事を語り出すと、たったのワンフレーズ聞いたところで、

 

 「それはあなたがいけない。こういう風にしなくっちゃ。そんな小さなことで、いちいち怒らない。怒るほどのことじゃない。辛抱が足りない。心の器が足りない。私のようにすれば解決できる」

 

 …と、いつも得意げに、頼んでもいないアドバイスをしていました。

 

 これが、一見仲良しにしか見えない、母娘共依存の実態です。

 

 この気持ちは、当事者の娘である私にしか、分かり得ない苦痛や恐怖、歯がゆさ、やり場のない怒り、悲しみでした。

 

(今なら感じていた感情のラベル貼りができて、説明できますが、当時は、なんとも言語化できない、深い暗い心の海に沈んでいただけでした。)

 

 優しい言葉で、心を緩ませたかと思えば、人の話は真には聞いておらず、私の感情、思い、人格、尊厳を毎回踏みにじる行為でした。

 

 私はずっと辛かったのだ。心の傷はとても深くて、大きい。目で視覚化できないけれど。

 

 目の前に、血の繋がった両親が片時も離れず側にいるという、幸せな状況なのに、私の気持ちは全く理解してもらえない。

 

 理解してもらえないどころか、全くないものであるかのように、自分の所有物として、母親や父親と全く同じ考えをするべきだと押し付け、否定する、赤の他人の大人達と暮らしていた方がよっぽど諦めがつくのに。

 

 血のつながりがある分、赤の他人より、数十倍も数百倍も、余計に辛かった。

 

 私は、自分の心の中と向き合い、カウンセリングも数年受けて、幾多のフラッシュバックもバックドラフトを乗り越えても、その当時は、まだ、私の本当の気持ちを、意識する頭(顕在意識)では、理解していませんでした。

 

 ひとりになって、もう一度、心と向き合い、私は、カウンセラーとの一件が発端となり、自分がずっと辛くて、淋しくて、孤独で仕方なかったのだという事実を、ようやく、腹の底から理解したのです。

 

(感情を麻痺していた期間が長いので、感情を感じるまでに、とても時間がかかる場合がまだ多々あります。特に、怒りの下に隠されている、自分の本当の感情を探ることは、まだ上手ではありません) 

 

 自分の心を回復すると決めて、自分を満たそうとやっていた行動は、実は、スポイトで一滴一滴垂らすくらいに少なくて、乾いた心を埋めるには、全然足りていなかったんだなと痛感しました。

 

 自分を満たす事、自分の声を聞くことが、まだ上手くできなくても、できることからやってみるしかない。

 

 周りの人を無意識に優先してしまう癖を手放して、自分の気持ちを救い上げる為の行動を、赤ちゃんの歩みで、これからもやっていきます。

 

 手当たり次第にいろいろやってみるしかありません。自分を幸せにするために。

 

 毎日休まず働いてくれる、動ける身体に感謝して、これからを大切に生きていきたい。

 

 私の母も父も、親からもらえなかった健全な愛をいまだ渇望している犠牲者だから、もう考えないことにしています。

 

 残りの人生を、自分を大切にして、救い上げることに全力投球するだけです。どこまでいけるか、わからなくても。

 

 最愛の夫とふたり、楽しいことをして、たくさんの経験をしていきたい。そして、いつか私は心身共に自立した真の大人になりたい。

 

 心の傷って隠す必要があるのだろうか、と最近思う。心の傷も立派な私の魂のパーツなのだから。