私はACで、原家庭は機能不全家族で、母とは重度の共依存関係を40年余りも強化し続けて、父親も母親と同じく重度な過干渉、私は、文字通り箱入り娘として育った。
異常な関係性の家族とも知らず、自分を犠牲にして、魂を溶かして、原家庭の為に、命を削って生きていた。
その家庭の中で唯一、同等な立場に置かれた、我が兄とは、異常なまでに、仲が良かった。
それは、兄妹だけで過ごす時間も会話も、その瞬間だけは、何の条件を伴わない、素の自分でいられた。親から期待される役割も、その時だけは脱ぎ捨てていることができたからだ。当時の唯一のオアシスだった。
ふたりの子供の心は、健全な親からの愛情を与えられず、枯渇して、乾ききった砂漠のようだったけれど、たとえ数滴でも、その瞬間は、心を潤す、貴重なエネルギーのやり取りだった。
人は、健全な心のエネルギーの交流がなければ、成長することができない。
それは、私の両親や祖父母、親戚、従兄弟達も皆、同じ。どれほど長い間、負の連鎖が繰り返されてきたのだろう。
けれど、私達の代で、止まった。
全てが止まったわけではないけれど、機能不全家族の元で育った母方の従兄弟達、6人中、3人は食い止めた状況になっている。残念ながら、父方の方は、父の子である私と兄以外は、世代間連鎖してしまっている。
私や兄に子はいない。そして、結婚した従兄弟のうち1人は、私と同じ既婚者だけれど、子はいない。残りの、子が生まれた従兄弟達が、自分がACだと気づき、心の修復まで踏み出せているかは不明。
先祖代々から長い間、続いてきた世代間連鎖が、50%の確率で止まったことは、すごいことではないか。
話が逸れたが、兄だけは、私の状況を理解し、味方でいてくれていると信じたかった。けれど、その想いは無残にも砕け散った。
母の支配から逃れようと、勇気を振り絞り、行動を始めてから、兄の態度は激変した。兄は、私の、両親に対する態度を痛烈に批判した。
一番、心の距離が近かったはずの兄は、私を真に理解することはなかった。兄も、アダルトチルドレン。たくさんの思い込み、制限、認知の歪み、白黒思考がある。
私は悟った。私の兄は、私の両親と同じく、私が自己を犠牲にして、幾多の役割をこなし、原家族の為に、心身を削って、エネルギーを費やすことが当然だと思っていたことを。
どんなに私が苦しんでいたか、私の思いや感情や、人格、尊厳が踏み倒されていても、両親と同じく、枯渇した心を埋めることに必死で、私のことを対等に扱う、という意思は存在していなかった。
親は敬うもの。けれど、親と上下関係を強いられてきた子は、親の支配から抜け出すためには、時には強固な手段を取らざるを得ない。
言葉や態度で伝えても、全く通じなかった。母の目には、何でも言うことを聞く、自分の心を満たす娘としてしか見えていなかった。私の拒否を、まるで何事も聞かなかったかのように扱った。
なお強固に、支配しようとする姿勢に絶望を感じた。自分の人生と尊厳をこれ以上、搾取されない為に、頑強な境界線を引くしかなかった。
実の両親に、そんなことはしたくなかったけれど、正論も感情や意思の思いを表明しても、私個人の意思や感情を受け入れる姿勢は皆無だった。
否定や無視、嘲り、娘である私を、一体化している分身としてしか見ない。私だけの感情や意思、思い、人格がある、別の人間だという認識がないのだ。人の思い込みの激しさを嫌というほど痛感した。だから、私は物理的に距離を取った。
兄は私の状況を正確にわかっていない。(わかりたくもなかったのかもしれない)
兄が両親の支配下から逃れてから、私はさらに過酷な状況へと追い込まれたこと、母が私だけに見せる、数々の緒深い深い心の闇と、娘を束縛し支配する姿、自分を満たす道具にしてきたことを。
寝食を共に過ごした血の繋がる仲間であっても、立場も状況も、そして魂の質やレベルも全く異なることを痛感したのだった。
私は、全ての期待を手放したから、今は平穏に生きられるようになりつつあるけれど、私はスキーマ療法を通じて、自分の人生を振り返りながら、当時、置かれていた兄が、どんなに辛かったか、当時の記憶が蘇ってくる。
大学に行けなくなり、狭くて暗いアパートに引きこもって、なお自責の念に駆られて、苦しんでいた。お金を節約する為に、一日一食しかしていなかった。
親の期待の為に、生まれてから全力疾走し続けてきた、終わりなき心のマラソンは、燃え尽き症候群になり、引きこもりになった。
親の為にずっと頑張り続けてきただけでも、充分辛いのに、さらに、自分の心を苦しめ続けていた。
それから数年が経ち、紆余曲折あり、親の期待や希望を無視して、自分のやりたいことをやるように、少しずつ変わってきたけれど、認知の歪みや制限や思い込みなどの生きづらさは、どの程度、和らいだのか、それは今はわからない。
私に対して、恨みしか出てこないのであれば、やはり、両親と同じ価値観を今でもまだ、共有しているということだ。
私は、引きこもるまでの彼の人生、引きこもっていた当時の時間、どれほど、辛い時間だっただろう、と改めて今思うのだ。
両親もアダルトチルドレンで、無自覚に子を苦しめてしまっただけなんだけれど、親としては、本当に罪なことを、我が子にし続けていたと、今でも胸が痛む。
十分すぎるほど過酷な道のりを歩いてきた彼に、母は、陰で、罵倒の数々の暴言を私に述べ続け、兄も、娘の私も、母を信頼したいのに、ずっと、ずたずたに裏切られ続けたこと。
私は、人を信頼できない大人になった。
それは、今では、自分の問題として、自分の人生の課題として、回復していくつもりだけれど、本当に罪なことをしてたよ…、お父さん、お母さん。
「あなたは世界一幸せな子よ。こんなに我が子を愛し、大切にする親はいない。私が死んだら、あなたは途方に暮れ、生きていけなくなるよ。」と、いつも、誇らしげに言っていた。
あなたから離れて、たくさんの時間と努力を費やして、少しずつ自分を取り戻しつつある私が、あなたなしでは生きていけないなんて、今は、微塵にも思わない。
産んでくれたこと、物質的に衣食住を提供してくれたことは、感謝している。
けれど、人への信頼を取り戻す、アディクションを乗り越える私の人生の課題は、今もなお続いている。ありのままの自分に戻るために、前に進む。
親から離れてからが、本当の地獄の始まり、と表現していた人がいたけれど、本当に、そう思う。至る所に、イタイ自分を発見する私…。それでも前に進み続ける。
今この瞬間を大切に、嬉しい、楽しい、幸せ、ほっとする、充実感、満足感、自然体、そんな楽な自動運転に変わるように、脳の設定を変えている途中。
どうか、親の為に苦しんだ兄も、兄なりに幸せな時を一分でも一秒でも多く味わって、残りの人生を生きていってほしい。
両親の事も、私の事も、そして辛かった自分の過去さえ忘れて、今までにない楽しい人生を生きてほしいと、切に願う。
私の人生も残り、たくさんの未知な体験をして、子ども時代に得られなかった経験を増やしていきたい。
ACであることさえ、忘れて、たくさんの行ったことのない場所、美味しい食べ物、素敵な風景を、この目で見て、五感で感じながら、命ある限り、体験していきたい。