8月8日を迎えるまでのこの時期、大抵、満月の時と同じように、嫌なことが起こる。感情が揺さぶられ、言いようのない、もやもや、イライラ、葛藤、不安、絶望感などの感情が、ごちゃ混ぜになってくる。

 

 自分の人生を良くしたくて、懸命に心理の情報を探して、自分を救い上げてくれる何か、確かなものを無意識に探してしまう。

 

 けれど、答えは見えてこない。

 

 唯一、この人だけは、と信じたカウンセラーは見事に去って行った。

 

 たとえ、思い込みの強い、盲信に満ちた、一方的な思い込みによる関係だったとしても、人間不信は極限に達した。

 

 夫と、これからの人生を改善する話合いの中で、

 

「もう二度と、カウンセリングを受けない」という取り決めをした。

 

 こんな結果になってしまい、結局、お金も時間も労力も努力も、密かな希望も全て砕け散ってしまった。

 

 夫も、もう、「カウンセラー自体を信じられなくなった」と言う。 

 

 人の心は、簡単には変えられない。

 

 本人でさえ、変えることに難儀しているのに、まして、赤の他人が介入した所で、僅かでも効果が表れれば、それだけで宝くじに当たるような確率のラッキーかもしれない。

 

 だったら、カウンセリングって何なんだろう?素朴な疑問が湧いてくる。中には、成果が出て、別人のように楽しい人生を送れるようになる人も、確かに存在しているようだ。

 

 けれど、私には、そんな奇跡は起きてこない。(これも、いわゆる、これまでの経験から来る「思い込み」なのでしょうが…)

 

 ACは、幼少期のトラウマの再現劇場を繰り返している、と表現されるけれど、再現どころか、また同じような経験を何度も何度も繰り返しすれば、人への不信も、現実への疑問もどんどん、うなぎ上りに強固されてしまう。

 

 思い込みを手放せばいいだけ、と言われても、実際に周りの現実を通して、実体験しているわけで、もうこんな思いは嫌だと、自分の心を守るのは、人の防衛本能。

 

 物事が悪循環の繰り返しで、心の回復も何もかも、すっかりわからなくなってしまった。

 

 ふと、「ナラティブセラピー」に少し惹かれて、やってみようかと思ったけれど、夫からはストップがかかった。

 

 効果が出なかった時に落胆するし、そのお金も時間も労力も無駄になってしまう。

 

 だったら、自分がやりたいこと、欲しいもの、食べたいもの、行きたい場所へ行く為に使った方が、遥かに心が喜ぶのでは?という、夫からのアドバイスだった。

 

 確かにその通り。もう人と関わるのは金輪際、ごめんだ。こんな状態で生きていくのは、悲しくもあるけれど、もうこれ以上、傷つきたくない。

 

 自分の心を予め、防御しての傷つき体験ならば、まだ傷は浅く済むけれど、赤ちゃんのように、安心しきって、すっかり無防備な状態でいるところの、捨て去られる、という体験は、もう人に対する恐怖しか湧いてこない。

 

 私が今後、ささやかに目指すのは、当たり障りのない範囲での、割り切った付き合い方。友人など、要らない。

 

 ただ、生きていくためには、どうしても一時的には関わらないといけない、生活圏の人達は存在する。

 

 自分が傷つかない範囲で、適度な距離を持って(その距離感がわからないけれど…)自分の好きなことに集中していくだけ。

 

 もう、全ての事に疲れてしまった。これ以上、もう、頑張りたくない。

 

 楽に、リラックスしていたい。せめて、心の中だけは心地よく居たい。

 

 安らげる瞬間を、これからはたくさん感じて生きたい。ただ、それだけ。

 

 自分の心が満たされることは、旅行だけれど、そうそう頻繁に行ける訳もなく…。

 

 今は、ただ近所を散歩して、心を空っぽにして、風に吹かれている瞬間だけが、僅かに安らげる。

 

 私って何のために生まれてきたの?この地球にいる意味は何なんだろう?

 

 もう、そんなことさえ、どうでもよくなった。

 

 全て捨て去って、何もかも忘れて、真っ新な私で生きていきたい。

 

 今居る場所も、周りの人達も環境も、何もかも嫌すぎて、苦しいけれど、小さな安らぎを見つけていこう。