今日ランチをしながら生徒さんにこんな質問をされた。
「ますみさんはなぜ瞑想するんですか?どんな瞑想をするんですか?」
誤解される心配など今さら微塵もない私が(どう取られてもかまわない)、照れをなくして言ってしまうならば、「私は神様が大好きなの!その神の愛を浴するために瞑想するの。自らの命を神の愛の中へと投ずるために」と答えた。
その昔は、神との合一体験がほしくて瞑想していた。何時間も何時間も毎日。子育ての合間に瞑想をするのではなく、瞑想の合間に子育てをしていた。ラマナ・マハリシは言った。「サルの子のようにしがみつけ」と。その体験を得るまで、私はしがみついた。けれどそれは予期せぬ時に訪れる。つかみに行くのではなく、手放した時に与えられる恩寵の何ものでもなかった。
あなたの人生に現れる悪役を買って出てくれた相手は、
あなたの魂の進化成長を促し、加速させてくれます。
ただし、その出来事を真から理解し、
学び、許し手放し、愛と感謝に変換できたときに…
次のステージへと移行して行けるのです。
自らの意志で先へ進むことを決断できたのなら、
もう同じ課題を持った相手、出来事が、
再びあなたの人生に訪れることはないでしょう。
幾度となく同じテーマを繰り返し体験しながら、
人は螺旋階段をのぼり、根源へと近づいていきます。
テーマを自覚したら祈りましょう。
「この出来事から、正しく学びとれますように。
進化しようとする自らの足に重石を置く執着心と、
自我とエゴの迷いから、完全に解き放ちたまへ。」
祈りの力は絶大です。
あなたの祈りは、あなたの魂への誓いとなり、
悲しみを燃やし尽くしてくれます。
魂は重たかった荷を下ろし、安堵し、
深い呼吸が可能になります。
マーヤの幻想から解き放たれたあなたは、今ここに存在し、
満ち足りた気持ちを味わえることでしょう。
自分をさらけ出せないのは
インナーチャイルドが怯えているから
人からの批判を恐れるのは
本当の自分を知らないから
変化を恐れるのは
その先が光であることを知っているから
本質を輝かせられないのは
エゴを手放していないから
あなたがあなただと認識している自分は幻でしかない
あなたの本質は今ここに在る
全てを委ね明け渡した時に感じる至福の光
それが本当のあなた
あなたの本質が顕になって
岩戸から出てくることを
たくさんの魂が待ち受けています
もうそこには留まれないはず
もうそこにはいたくないはず
もう自分を抑えることなんてできないはず
正直な自分に気づいてしまったんだから
聖なる欲求に従って
さあ、今こそ生きる時が来たのよ